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マキ子ジャーナルより

2008年5月6日

世間の常識、それが悪魔

東京新聞5月3日朝刊より、
東京新聞はユニークな記事が載るので
私は愛読しています。

ついでに申しますと、
最後の誌面にある「運勢」これがまた示唆に富むのです。
故・小渕総理が総理に就任した朝、
新聞の運勢を読み上げて、覚悟を表現しました。

一体なんだと無神論者の戦後インテリは非難していましたが、
私はあらためて
あら、小渕総理も同じ欄の愛読者なのだと納得。

さて新聞から引用します。

「世間の常識だとこの程度は許されるはずだ、
これが悪魔の誘惑です」、と
ひろさちや師

「釈迦やイエスに向かって悪魔がいろいろ
誘惑している場面がありますが、
それらはすべて世間の常識を言っているのです。

われわれは、
世間は悪魔なんだと思っておきましょう。
それが悪魔に負けない秘訣です」、と。

ちなみに私はひろさちや師の
小さな文庫本・「般若心経」を
トルコ旅行をするときに持っていって
一日一節(パラグラフ)づつ暗誦しました。

暗誦とは意味を読んで理解した上で
そのまま暗記することです。
意味を理解しておぼえると覚えやすいものです。

般若心経262文字は、
その後、くりかえし唱えるうちに
意味もじっくり心にしみてきました

長い坂や階段を登るときも
般若心経を唱えると
不思議にすっと登れます。
不思議です、試してください。




最終更新日時 2008年5月6日 21時15分48秒
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イランに留学した谷 正人さん

写真の人物・谷 正人さん(すみません、
写真がちゃんとオンラインできませんでしたのでhttp://www.hamadamakiko.comから
月刊「ぺるそーな」を見てください。)
のような留学をした方は
おそらく今の日本にはいらっしゃらないでしょう。

シタールというイランの楽器に魅せられて、
大学を出てすぐ、
とにかく何も知らないままイランに留学。

じっと見て聞いてマネて言葉も一緒に覚えていった、
ちょうど赤ちゃんが物を覚えるプロセスを
僕は繰り返したからよかったのです、と。

イランの勉強法そのものが、そういう昔ながら
の学習の仕方だったそうです。

日本では、暗記と暗誦をごっちゃにしています。
「私は暗記はダメ」、といって、暗に
「あなたの勉強は暗記でしょう、
 私は頭を使わない勉強はしない」、と。

人間はみな、無心に暗誦して
成長してきたことを忘れています。

イランでは日本の先生のように、どうやって
生徒に勉強してもらおうかなどと思わない。

先生は教えない、
勝手に自分で覚えろという。

弟子はじっと先生の生活のすべてをじっと見て、
全的学んで行く。

勿論、ダメな弟子はそのまま。
できる弟子はそこから自分の世界を展開する。

月刊「ぺるそーな」5月号から
谷 正人先生の言葉を抜粋します。

・・・師匠は弟子に自分の好きなように演奏しろといいます。・・・

・・・自分でできるようになっていく人は
いろんなことを観察しているんですよ。

師匠が人に言っていることや、
周りの弟子たちがやっていることも観察している。

こういうふうにやれ、と師匠も
言ってくれないのでわからなくて、もがくんですね。

・・・、わかりにくいことは
わかりにくいまま生徒に伝えることが
大事だということです。

すると生徒は「アレッ、これは何だろう」と、
ハテナマークだらけになる。

そしてそのハテナマークを解決するために、
周囲を観察しだす――その観察こそが学びの姿勢で、

・・・例えば学校教育のなかで
日本の伝統音楽を生徒に教える場合、
普段はポップスしか聴かない生徒に親しみを持たせよう、
わかりやすくしようとして琴で
アイドルグループの曲を弾いたりする。

しかしまず必要なのは、
日本の伝統音楽のなかに、
自分にとって「わかりにくい」要素がある
ということを自覚させることです。
そこから学びがスタートするんです。












最終更新日時 2008年5月6日 20時50分31秒
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2008年5月5日

チベット

6日にはいよいよ胡・中国主席が来日します。
さてどうなるでしょう。

月刊「ぺるそーな」5月号
「世界史はモンゴル帝国からはじまった」より、
ぜひ知っておいていただきたいことを抜粋します:
                   
岡田英弘(歴史家・東京外国語大学名誉教授)、日本の中国学の最高権威
宮脇淳子(モンゴル史学者)、岡田夫人ですが学問の分野では旧姓です。

(三月二日から五日まで淳子先生は北京旅行、その報告からです)

チベット暴動が起こる前でしたけれども、
北京観光をしているだけで、
チベットが中国における目下の最大の問題であることを実感しました。・・・
 
インターネットが世界中に即時に情報を伝達できるようになった現代に、
毛沢東の時代と同じやり方をして中国が成功するとは、
私たちには思えません。・・・
 
メインスタジアムの鳥の巣と、
泡模様の外壁におおわれた室内プールは出来上がっていましたが、
あとはまだほこりっぽい更地のままで、
二階建ての労働者用プレハブ住宅は、
工事現場の広さに比較していかにも小さく、
おそらく一部屋に何十人もが寝起きしているのではないかと思われました。・・・
 
北京の水不足は深刻だと聞いていたのに、
町を走っている車はすべて、洗車したてでピカピカです。

北京は黄砂でおおわれているはずだったのに、
宮脇たちが滞在していた四日間ずっと青空でした。

帰国したあとで、黄砂が日本の関東地方にまで飛んできたと聞きました。
北京だけ避けて飛んだのでしょうか。
 
これがまんざら冗談ではなくて、
北京だけ青空にする秘策があるのです。

毎年十月一日の国慶節の日はかならず青空で、
これまで一度も雨が降ったことはないのですが、

それは、直前に北京近郊の雨雲にヨウ化銀を散布して、
雨を降らせているからだというのです。

オリンピックが開かれる八月は雨の多い季節ですが、
北京政府は何十機もの飛行機を使って、

ヨウ化銀という毒を散布し、
北京にだけは雨を降らせないだろうと思われます。
 
ちなみに宮脇たちが滞在した四日間が晴天続きで、
北京市内の車がピカピカだったわけは、
帰国日の三月五日が全人代(全国人民代表者大会)の開始日だったからでした。

だからオリンピック現場で工事もおこなわれず、
おそらく北京市のあらゆる工場の操業も停止させていたのでしょう。・・・・

・・・ 中国政府はこのように、
北京オリンピックの成功に向けてあらゆる努力を払っているわけですが、
中国文明の弱点は、見えるところだけに注意を払う、
表向きつじつまが合えばいい、と思っているところにあります。

岡田英弘がずっと前から指摘していることですが、
これは、中国人にとって唯一の書き言葉である漢字そのものに原因があります。
 
話しことばの異なる中国人にとっての共通語である漢字は、
表意文字の宿命として、
具体的な事柄をあらわす語彙がほとんどで、
感情を表現する語彙はひじょうに少ないのです。

中国語では、目に見えない思想とか、
ものごとの微妙なニュアンスを説明することはとても難しい。
つまり言い換えれば、中国語は、即物的な言語であるといえます。
 
だから中国人は他人の心の中には興味を持ちません。
目に見えないものはないと同じです・・・・ 

もともとそういう文化だったところに、
毛沢東の共産主義は「宗教はアヘンだ」と言い、
宗教いっさいを否定しました。

仏教という、目に見えないものを信じるチベット人の心中など、
中国人にとってはもっとも理解できない部類のものです。
 
それでも、チベット自治区が秘境の地だったときは、
漢族とチベット人の接触が少なかったために、
今のような暴動が起こるまでには至らなかったといえます。

チベットは漢族にとって、標高が高く酸素が足りない不健康な土地だったので、
内陸部の一・五倍の僻地手当をつけないと出稼ぎにも行かない土地でした。



最終更新日時 2008年5月5日 21時22分11秒
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イランを知る

5月のオリエント・クラブではイランの勉強をしました。

いい年をした女性ばかり
いつまで続く勉強会、
何のためといわれるかもしれません。

ただ無心に学び続けることに
意味があると思っています。

上岡弘二先生のおかげでイスラムの勉強もよくします。
日本でもイスラムは正しく知られていません。

でも日本はいい国です、
イスラムの勉強も堂々とできるからです。

誰がでもいい、少しでも正しく
知る人が増えることは大事なことです。

深夜映画で「砂と霧の家」を再放送していました。

イラン革命でアメリカに移り住まなくてはならなくなった
誇り高き帝政イランの大佐の家族の話、
観ていてやりきれなくなります。

アメリカでももっと
イスラムのことを教えるべきです。

ところで月刊「ぺるそーな」5月号の
久保紘之「平成太平記」
今の日本をよく言い表していますので、

平成太平記

平成の政治世界では、逆価格破壊現象、
超安値ではなく超高値へのシフトが常態化したのです。

つまり支持率の超高値現象で
「政治の良識」の働く市場が
破壊状態に陥ったということです。
(東国原現象などのこと)

それが八十%の世論支持率という小泉現象の本質でした。
宮崎の東国原も大阪の橋下も、みんな八十%くらいの高い支持率です。

これは高値安定による議会制民主主義の破壊です。
かつては10%や20%がざらだった。

あまりにも支持率が高すぎては駄目なのです。
高い支持率だと世論に支配されて、
まともに議会政治が機能しません。
 
小泉郵政改革がもたらしたもの、
それは郵政解体による地域共同体の崩壊と
人々の共同体意識の解体が
ひいては国家解体へと一本道につながっていくことです。

以下、興味があるかたは月刊「ぺるそーな」を
http://www.hamadamakiko.com
からお読みください。
無料です。



最終更新日時 2008年5月5日 17時36分43秒
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無心

東洋史の勉強会で毎月通う
国際文化会館の二階でめずらしい
陶器や漆器の名工展が開かれていました。

覗いてみましたら、
お茶を一服出してくださいました。
ほっと美味しく、お茶は気取ったものではなく
こんなことが日本の文化の本当だと思いました。

月刊「ぺるそーな」6月号
松永太郎 統合哲学  
エックハルト・トーレについて、より

アメリカの人気トーク・ショー「オプラ」に、
いわゆる「スピリチュアリティ」(霊性)の師(ティーチャー)、
エックハルト・トーレが10週間にわたって出演し、
司会者のオプラと対談しながら、全世界から寄せられる、
いろいろな質問に答えている。
番組は全世界からアクセスできる。
 
このトーレのような、
きわめてすぐれた「スピリチュアリティ」の師が、
これだけ多くの人とコミュニケートする、
ということも史上初めてのことである。
 
エックハルト・トーレは、
「パワー・オブ・ナウ」という本で、
多くの人の意識あるいは視点を変換に導いた。

その意識、あるいは視点は、
今まで哲学はほとんど視野におさめてこなかったものである。

そうした意識や視点を、
何とか哲学や心理学の文脈で語ろうと悪戦苦闘したのが、
アメリカの哲学者ケン・ウイルバーであるが、

エックハルト・トーレは、多くの人々の求めに応答して、
まったく普通の人に語りかける本(もともと少人数の会合で話していたこと)
をまとめたのである。
この本は、非常に平易で、どんな人でも理解できる。
 
トーレが一番多く例に出すのは、禅であるが、
むろん禅の人ではない。

また仏陀やイエスの教えも多く例に出すが、
それぞれの「教徒」ではない。

すなわち、彼は既成の宗教の人ではない。

また何か団体を組織したり、
「弟子」などを育てたりすることもしない。
ただ普通の人に語りかけるだけである。

そして、筆者の見るところ、
現代的な霊性の最良の師の一人なのである。
 
トーレは、まったく不意に、いわゆる禅でいう「悟り」ないし「見性」の体験を得た。

奇跡的なのは、それまで彼は仏教や禅などの
勉強や修業をしてこなかったことである。

・・・日本では、江戸末期に「心学」があり、
そこでは「思案というものがなければ我というものはない」と教えている。

・・・このエゴ(我)が生み出す苦しみ(仏陀の言われる苦)
から自由になる(目覚める)には、
「我」というものが思考や感情の産物であって、
我の本体ではないことを見抜くことである。

「無心」であること、
「計らいを捨てること」といっても同じである。

本来の「我」とは、多くの東洋的な伝統が教えているように、
名づけることのできないがゆえに
「空」であり「道」であり、「存在」であり、

「意識」であり、「一者」であり
「神」など、さまざまな呼び方で言われているが、
ここで使われた言葉が指し示すものこそ、
すべての宗教の核心にあるものなのである。



最終更新日時 2008年5月5日 12時29分34秒
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タグ:禅の心 , ,

2008年5月3日

制服を誇らしく (2)

町には今、可愛い制服姿の一年生が見られます。
初心忘るべからず、という言葉をいつも思い浮かべます。

制服によってどこの学校がわかります。
それぞれ誇らしそうです。
制服には心を正す役割があるようです。

自由はその規律の中でこそ鍛えられます。
野放図にだらしない服装の学校では、
かえって強い精神は育たないようですから不思議です。

月刊「ぺるそーな」5月号、茶道を30年も幼稚園の生徒に
ボランティアで教えている平川みどりさんのコラムから:

・・「30年前、鎌倉の稲村ガ崎にある剣道道場に息子・娘と共に10年間通いました。

子供達の澄んだ声の宣誓
『一つ私達は国を愛し親を大切に致します。
 一つ私達は礼儀を正し先生の教えを守ります。
 一つ私達は自分の事は自分で致します。
 一つ私達は友達に親切を尽くします。
 一つ私達は強い体と強い心を養います。』

で始まり黙想・礼・掃除で終わる厳しい稽古でした
。文科省は08年2月小中高の体育に
武道(剣道、柔道、相撲)を入れる事を学習指導要領改定案に公表しました。
以下、本文はhttp://www.hamadamakiko.com
から、どうぞ月刊「ぺるそーな」をお読みください、
無料です。



最終更新日時 2008年5月3日 22時1分56秒
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王妃の紋章に中国を見ました (2)

「王妃の紋章」という映画を是非観てください。

チャン・イーモウという中国を代表する監督
この北京オリンピックを演出をする人です。

コン・リーとチョウ・ヨンファが出るから
面白いだろうという位で観にいったのですが、
そんな王家の中の血塗られたドラマより、

宮廷の装飾や女官たちのびっしりとした数、
日本の大奥なんてあっさりしたものだと
思いました。

一番圧倒されたのは、この戦闘シーン、
たった王宮の中の戦闘に過ぎないものなのですが、
この徹底さ、これでもこれでかと押し出してくる
大きな盾の後ろにはまだ兵士が何重にもいます。

壁は徹底的に装飾で飾る、
敵は徹底的に殺しつくす、
こういう映画を今中国一の監督に作らせるところに出してところに
中国国家の意思と形を見ました。

日本人の甘さはみじんもありません。

ただし、広い壁に花一輪を飾って春を、
桐一葉に天下の秋を感じ取る、
そんな日本の文化は実は強いと思います。

なぜならば、突き詰めていって最後に残る
ぎりぎりのエレメントを示せば無限を語れます。
数や物をいくら埋めても宇宙を語り尽くせません。

「策は策なきをもって上策をする」、というではありませんか。
そのまま無心に天の導きに従う、それこそ、
「天の謀りごとは人智を超える」
戦い尽くした後に知っただろう古代中国の知恵を示す言葉です。