深層意識の力を利用し、夢を実現する -1641ページ目

父に起こった許し

 

こんにちは、濱田浩朱です。

 

先日のこと、ふと

「あの瞬間、父は許されたんじゃないか?」

と気づいたことがあります。

 

わたしの父は大正生まれで、

とにかくとても厳格な人で、

やさしい側面もあったのですが、

とにかく「~であるべき!」というのが

とても強い人でした。

 

あまりに「~であるべき」が強いために、

わたしは従順になるのではなく、

従順なふりをする子供になっていきました。

 

で、親の見ていないところで、

好きなことをして遊ぶ。

 

親の前では言う通りにやっているように振舞う。

そんな子供になっていったのです。

 

ですが高校生のときのある日のこと、

いつもはいうことを聞いているフリをしているわたしも、

怒りが限界を越えてしまいました。

 

で、部屋の窓ガラスを怒りに任せ、

棒で叩き割ってしまったのです。

 

父は怒り心頭になると、

わたしに対して「きさま!」と怒鳴るクセがありました。

 

わたしがガラスを叩き割った瞬間も、

父は「きさま!」と怒鳴りかけました。

 

が、ガラスを割った瞬間、

わたしの内に「これはやりすぎだ」という

反省の思いが湧いてました、

 

で、「きさま!」と怒鳴りかける父に、

わたしは「ごめん」とひとこと言いました。

 

そのひとことを聞いた瞬間、

父はだまりこみました。

 

わたしには、

こんなふうに謝られたことのない父が、

どうしていいかわからなくなり、

それ以上なにも言えなくなったようにみえました。

 

後々、心理的なことに深い関心を持つようになって、

父は祖父に同じように扱われてきたんだろうなとか、

あんな場面で身内に謝ってもらったことが

ないんだろうなと思うようになりました。

 

で、謝られて、

どうしていいかわからなくなったんだろうな

そうずっと思っていたのです。

 

ですが先日ふとわたしは思いました。

 

あのとき父のこころは

許されたんじゃないだろうかと。

 

謝ることが素直にできない、

DNAのように受け継がれてきた家系的な思い、

それを父もどうすることもできず受け継いできて、

どこかで苦しんでいた。

 

それが謝ってもらえたことで、

父の中の何かが癒されたんじゃないか。

 

そう思ったのです。

 

思い返してみれば、あの日以来、

父が激高する姿を見なくなったように思います。

 

あの日、父が癒されというのは、

わたしがそう感じただけかもしれません。

 

ですが「あの日、父は許され、

代々終らせられなかったものが終らされ、

解放されたんではないかと思ったとき、

わたしの胸に何か暖かいものが生まれてきました。

 

あなたの人生にもそうやって振り返ってみると、

「あのときそうだったのかもしれない」

という場面があるかもしれません。

 

よかったら思い出してみてください。

 

 

 

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