ゆっくりゆっくりと文月がやって来ました。


梅雨から夏へと季節は移ろいます。


皆さんにも、夏の思い出がたくさんあるとお察しします。始めて泳いだ青い海、始めて見た稲穂の田圃、夜のキャンプで流す涙、空高く音を立てて上がる一瞬の花火の美しさ、生理中に着替えた銀色のビキニ、ママもパパも若く家族揃って食べた流しそうめん、破綻した初恋の哀しみの浜辺、流れ星に願いを込めて点ける線香花火、片っ端からナンパした歓びの岩山、採れたてのトウモロコシの甘さ…そして今は相変わらずの都会の喧騒で職場へ向かう。


私たちそれぞれに決して忘れられない別れた恋人がいて、今、ぼんやり思い出して想像もするのです。あのとき一緒に聴いた音楽、あのとき一緒に着たお揃いのペアルック、眩暈した痙攣のカラダを抱き寄せてくれた恋人の優しさ、思い出のこんな濃度が、今現在の新たな眩暈を生み出しています。こういう個人的な事柄は、たぶん誰からも理解されないので、私たちの孤独感も深まっていきますね。この上ない歓喜の代償として、私たちは孤独を支払っているのです。


私たちは、みんな、ほんの子どもでした。


この痛々しく苦々しい甘美な孤独感のおかげて、人はいつまで経っても若いままで、新たな恋を見い出すチカラを育んでいます。


赤いスポーツカーのアクセルをベタ踏みして突っ走る湘南道路、ハンドルを際限ないくらいに切り替えしてのぼる日光、あれが私たちの豊かな青春でした。


七夕の夜の提灯行列、墓地でざわめいた怪談による悲鳴、夜空一面に広がる銀河、沖縄で見つけた星の砂、新たな恋人に安堵したためらいのキス、戻らない川の流れに泳ぐ鮒や鯉や鮎、泳ぐ川の突然の深みに驚いた恐怖、山あいの甘い湧き水を飲んでお腹をこわした夕暮れ。


私たちは、生きています。


仕事を終えたらおウチに帰るように、私たちは私たち自身の優しい回想で自分自身に帰ります。


いつか幸せになる、のじゃなくて、いま私たちは幸せで、希望を抱くために生きています。夜明けのために、生きています。


微笑んでいたいですね。自分のために、愛おしい誰かのために。