サルトルの戯曲『恭しき娼婦』を読むと、


「気狂いめ!気狂いめ!」との涼し気な台詞がある。


こんなことはまだまだ序の口だから、


「あたし、気狂いなのかしら?」


と、切れ長の一重瞼をパチクリしないでほしい。


更に蓮實重彦の『凡庸さについてお話させていただきます』を読む。


あなたは、こうやって、アップデートする。


不幸せじゃなくて、あなたの幸せをアップデートするんだ。


「貴族的な方は…」云々とある。


この程度で、怖気づいちゃいけないよ。


まだまだ序の口。


詩人ロートレアモンの『マルドロールの歌』を果敢に読む。


「人間どもよ!」


書いてある。


「俺は、お前を、いっそのこと気狂いにしようと思ったのさ!」


書いてある。


負けずに、ナボコフの『ナボコフ自伝』を読む。


「ブルジョアの連中ときたら、まるでイヌのようにチンチンしている。繰り返し言っておくが、わたしはそんな愚かな読者ではなかった。では、一般の読者よ、どうぞ」

 

書いてある。


またサルトルの作品を読む。


「町方? バカを言っちゃいけない。国王か王子ならともかく」


書いてある。


「詩とは、精神の貴族なのである」


書いてあるね。


最後に、詩人ランボォーを読む。


「王子は、天才! 天才は、王子!」


とある。


シェイクスピアの『マクベス』みたいにさ。


フランシス・コッポラの映画を観る。


「王侯貴族の暮らしをするためさ! 映画に出れば、成功するよ、マシュマロ野郎!」


台詞がある。


解放されたかな?


頑張って❣️


歌っている鳥が、いつも幸せであるとは限らない。