私は、多くの淑女や紳士と同様に、文学とは一線を画しています。


専門家としての精神科医の大多数の見解によれば、


「小説を読めば読むだけ毒になる」


とのことです。


大学では、小説家や詩人は、矮小な存在でしかありません。教授たちは、みんな淑女か紳士です。


作家の作品を辿りますと、終わることなく果てることのない思索に終始していて、その読者は、余すところなく繰り返しを余儀なくされます。患者としての読者なら、不調を際限なく繰り返すことになりますね。


詩と散文に騙された読者たちの特徴は端的に《怒りを持つ》ことで、心身への悪影響があると分かります。


淑女も紳士もその点につき「退屈する」と言っています。


詩人ロートレアモンは詩集『マルドロールの歌』の最後で、読者に向かってこう書いています、《俺は、お前を気狂いにしたかったのさ》。ロートレアモンのみならず、どの詩人にもこんな傾向が目立つのではないでしょうか。愚劣だと言って差し支えないのではないでしょうか。


文学のある種のものは《表現の自由》を著しく逸脱して、もはやテロリズム以外のなにものでもないと思います。関西で起こった京アニ無差別殺傷事件は、その典型なのかもしれません。既に死刑が確定しているこの事件、今もなお遺族の傷は癒えないままです。


文学で問題となるのは《時間》で、読者の脳は滅茶苦茶に破壊される心配があります。文学はもとより二次元ですから《空間》をも読者は認識しづらくなります。率直に言って《時間も空間も認識できない狂気》の誕生となりますね。したがって、これは空気が読めないKYとなります。すると、実社会に(家族であれ地域社会であれ企業組織であれ)参加できなくなります。


精神科医は、大学の医学部医学科で専門の教育と研究とを済ませており、しなやかで腰の低い誠実な患者なら、粛々と医師のご見解に遵うのではないでしょうか。


私は随分と迷いましたが、やっぱり精神科医の見解と助言に従って文学からは遠く離れました。


早く気づけば気づくほど、患者は幸せになれると思います😊


もともと私は精神障害者ピアサポーターですから、精神障害者の皆様に責任ある立場で責任あることを指摘したいと思っていました。これが私のささやかな優しさです。ご参考になれば、幸甚です🕊𓂃𓂂𓏸𓂃𓈒𓏸💞💜


患者の皆様が活き活きとしなやかに生きて、快活に笑い、限りある存在として鮮やかな恋をされますよう、祈念しています🕊𓂃𓂂𓏸恋、頑張ってください🤍🏹⋆*