朝の連ドラによってか、大学の法学部と裁判が巷で話題となっている。


連ドラの舞台となるのは、明治大学法学部。


都内の法学部について書く。


東京の法学部は、二つの潮流に別れている。


明治維新に際して、日本は名文による法典作成が急務だった。さもないと列強各国との釣り合いがとれないばかりか、占領される心配があった。


特に、民法典の作成で、激しい論争が巻き起こった。民法典は、人々の暮らしに密着する法律なので、当時の司法大臣山田顕義は部下を叱咤激励しながら激務をこなした。敵対する論客には《犬!》とも《畜生!》とも呼んで罵倒し痛罵した。ヨーロッパの民法のほぼ直訳に近かった。


その頃、大学の法学部では、やっぱり激しい対立があった。東京大学法学部、中央大学法学部、早稲田大学法学部の3大学、これがひとつの流派となる。日本大学法学部、明治大学法学部、法政大学法学部の3大学、こちらもひとつの流派となる。このそれぞれ3大学が、壮絶な対立をすることになる。双方、決してゆずらない。最終的には、東京大学法学部、中央大学法学部、早稲田大学法学部のグループが、勝利を握る。全て、民法典の作成での見解の違いだった。


法学部にはそんな歴史がある。


フランス民法に準拠するのか、ドイツ民法に拠って立つのか、その違いだった。


裁判では法律的三段論法を用いて行なわれるが、結局、常識的なところに落ち着くから面白い。


大学一年生の18才の男女は「法律とは、何か?」から法律学の研究を始める。大学四年生になり「法律とは、何か?」とまた考える。見事なこの不条理、法学部の四年間とは何だったのか? 黒い表紙の分厚い法律の本、恋愛、仲間との不和と友情、そしてまたひとりぼっちに戻る、そんな不思議な暮らしだったろうと思う。


誰もが、頑張った。胃潰瘍になるくらい頑張った。私は、こんな法学部を誇りに思う。