映画『三丁目の夕日』では純文学作家の主人公が小馬鹿にされる。
自動車修理工場の社長から、
「おいお前、お前はチャンバラを書け」
と言われる。
純文学の読者は、純文学の作家か詩人になる、とも言われる。しかも売れない作家であり売れない詩人。
隠し事をしてるワケじゃなくても、胡散臭い。
古本屋でも、売れない詩集が山積みされる。
純文学の読者は、たいてい考え過ぎている。役に立たないことばかり考えている。こんな時間の使い方だから、どんどん経済的に困窮する。
で、官能小説を書くことで、とりあえず凌ごうとする作家もいる。そういう作家はちょっと器用だ。
だけど妙に哲学へ拘泥する人たちが多い。考えれば考えるほど、経済的に貧しくなる。
気がついたときには、浦島太郎。
不可能な純粋を続けた罰がおりる。
仲間たちの幾人かはとうに自殺してる。
勘違いしたくないのは、孤独と精神集中との混同で、双方は全く違う。