時代の変遷の局面で、急に知性が重んじられ、彼岸(あの世)もありはしないと退けられてしまう。


すると、日本の場合では、食糧自給率が極端に下がる傾向だと私は心配する。


時のリーダーは常にインテリ層と頑なに決められ、上からの指示によって社会の変化があると信じられている。


知性偏重のこういう考え方は、東京の一極集中に拍車をかけ、問題点ばかり目立ってしまうようになる。


知性には限界があるのに、リミッターを取り払えば万能だと信じ込まれている。


世の中はギスギスし、なんのゆとりも潤いもない。




私は、20世紀フランスの作家たちの考え方を見習い、できれば踏襲したく思う。


ジョルジュ・バタイユ…当時は小馬鹿にされることもあったこの作家の、《非=知》の思想を見直したい。

知性ばかりが能じゃない。

バタイユのいろんな小説を読むうちに、エロティシズムについての考え方にしても、いかに彼が穏当かが分かるようになった。


また、シュルレアリスムも傑出してて、何かに行き詰まった折りに触れると、途端に癒やされるから不思議。

健康を第一に考えれば(そこには環境問題も関連している)必要以上に脳を酷使するのはどうかなぁと思う。


およそ知性とは関係なさそうな、生きていく上での知恵が、人を救うこともあると思う。

人々はそれを《優しさ》と呼んでいる。