障害のある無しにかかわらず、人はこころ病んで生きている。
生まれた瞬間、人は泣き叫ぶのが印象的だとフランスの作家マルグリット・デュラスは指摘する。
誰もが、多かれ少なかれこころ病んでいる。
その例外など現代ではありはしない。
「現代は、鬱の時代」と作家のフランソワーズ・サガンは示唆する。
憂鬱は、詩人ボードレールが始めたが、彼の専売特許でなく、誰もが鬱で苦しんでいる。
「憑かれているんだよ」芥川龍之介はそう笑って『侏儒の言葉』を書き終えた。
私も御多分に洩れず日々、鬱をアップデートしている。
眠れなくなったり、眠りすぎたり。
心理学が役立つと考え始めるのは、かなり危険で、もう病みも深まった証しだといえる。
ここ東京では季節をうまく感じ取れないから、テレビのディスプレイに目を凝らし、地方の樹々を眺める。
いろんな色が、見える。
耳を澄ませば、小さな虫の鳴き声も聞こえる。
風の音も、聞こえる。
小鳥が、鳴いている。
ここは都会の静謐な整然とした部屋。
季節などほとんどない。
本ばかり読んでいれば、愚かになる。
米の作り方も、私は知らない。
愚考の堆積、書物の山。
そして華やかなガールフレンドは、自ら命をひっそり絶った。
私には、何も分からない…
ただ、旅に出たいと思ったりする。
どこか、見知らぬところへ、行ってみたい。
ぶらりと各駅電車で…
それで鬱が消えるでもない。
たぶん、更に一段と増すだろう。
この部屋から、駅のホームが見える。
電車の車輪の軋む音。
ドアの開く音。
華やかな女性の自死など、誰も知らない。
ひとり、旅に出たい。