不倫は、浮気ではなく恋愛
「不倫は、文化だ!」
江戸時代の日本では、ありふれた性の営みだったのに、明治時代に入ってから西洋哲学が花盛りとなって、それが儒教と結びつきながら秩序と道徳を重んじる傾向になってしまった。
もともと日本は、性愛には寛容な国だった。
まず、法律学がいけないと、法学部法律学科出身の私は思う。
民法典にはまだまだ成長の余地がある。
フランスの詩人ランボォーは《道徳とは、脳髄の衰弱だ》と述べている。
道徳過多によって被害を受けるのは、主に女性と障害者だと思う。
そして悲しいのは、女性の中でも異常に道徳を擁護する人たちがいて、このケースではもう既に男性陣に飼い慣らされた女性だと認識できる。
飼い慣らされた古風な女性は、不倫を口にすることもない。
不倫する女性たちを彼女は断罪し、そうすることで既得権益を守ろうと汲々とする。
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道徳とは、脳髄の衰弱だ
不倫は、浮気ではないし、魔が差したワケでもない。
恋愛なんです。
だから《寝取られ亭主》というのは実際の現場では口にされない。
恋愛なんだから、そもそも《不倫》とする必要も実はない。
「永遠に愛する」とかなんとか、荒唐無稽な戯れ歌で、女性が蹂躙されるのは奇妙。
「美徳を守って、人生滅ぶ」では本末転倒
いくら教養を積んで、美徳を身につけても、それで人生が滅んでは本末転倒、意味がない。
それは逆に無教養なのだと思う。
いろんな生き方があっていいと思う。
美徳が邪魔なら、放っておこう😊