仲間たち…そう耳にして、つい悩み込んでしまう人もいると思う。

そして、「わたしには、仲間なんていない」としょげ返る人も多分いる。


【仲間】という品詞を広辞苑(岩波書店広辞苑第七版)で調べると

①ともに事をする人。同じ仕事をする人。また、その集まり。同類。伴侶。たぐい。

②近世における商工業者の独占的な同業組合。株仲間。

と記述される。


同じ仕事、といった意味合いでは法律の商法典での関係性だし、伴侶といった意味合いでは法律の民法典での関係性。


難しいことはさておいて、普段、人は仲間といえば《友だち》といった事柄だと思う。

あまり法律のことを意識しないで《仲間たち》をイメージしている。


そんなに責任はそこにはないのかもしれない。


だからこその甘えもあるのは否めない。

つい仲間に甘えてしまう…

だけど、甘えを弄べば、迷惑をかけた以上、もう仲間ではなくなってしまうのかも。


離反して、新たな仲間の獲得に専心する人はいるけれど、なんらかの心の病を抱えていると、

ムズカシイ。

そのエネルギーもさほどないのかもしれない。

で、神だとか、真理とか、そういう事柄に没頭して世間から遠ざかっていく人もいる。

まるで世捨て人のように。

言い換えれば人間嫌いになっていく。


私は、仲間というイメージを、感覚的に捉えている。

それでいいんじゃないかと。


仲間は、意外にも、コロコロと変わっていく。

恋人でさえコロコロと変わっていき、必ずしも継続しない。

永遠の恋などそうそうあるものでもない。


難病や障害を抱えれば、仲間たちとの関係性は稀薄になると思う。

稀薄になることによって、双方が傷つくのを、あらかじめ防御している。

そこには主張の慎みがあるし、情熱への嫌悪すらある。


なんとなく、どろっとした粘液性のものに包まれた関係性。

不確かなそれが、確かになっていく。


ギリシャ時代の哲学者ディオゲネスが、アリストテレスにこう言ったという

「おお、我が友らよ、友というものはない」


ちょっと悲しいけど、これが本当なのかもしれない。

こんなことからスタートすれば、良い関係性が生まれるのかも😊