こんばんは。
いかがお過ごしでしょうか。
お元気なままですか。
笑顔でいられず、ついはにかんでしまいますか。
それとも、この悲しいテーマのように、もう死んでしまいたいですか。
そんな夜もあるのかもしれませんね。
文学には意味がないと理科系の人は言うかもしれない。
ただね、価値ならあると思います。
怖い夜から、逃げましょう。
恐怖の街から、逃げましょう。
ここは東京、花の都と人は呼びます。
花といっても、散るばかりで…淋しい胸に、散った花々が積もります。
取り残されて、私は文を書きます。
詩人がクスリを飲むという。
細っそりした腕の先には、安定剤があるという。
売れ行きのよくない詩集、出版社も書店も愛想をつかし始めています。
誰が買うというのでしょう、誰が読むというのでしょう。
経済的に決して豊かとはいえない詩人は、安定剤を買うのです。
インクに涙を混ぜながら。
送られなかったあのラブレターを書くために…
ロシアの女性詩人たちは、時として自ら命を落とし、
熱いオーブンに頭を突っ込んで死ぬのです。
あてどもなく街をそぞろ歩いては、学生だった私は神保町で本を探しました。
フランス文学書を買うことが多かったのですが、ロシア文学も好きで、プーシキン以降の書物を買いました。
ロシアの詩集を紐解きますと、女性詩人がかなり自殺しています。
考えさせられましたね。
想像に堪えない仕方での自殺なので。
日本ではそういう自殺の仕方をあまり聞きません。
で、私は、取り残されました。
『狂気と正気の狭間で』と題して二十歳の私はまとまった文を書き、悦に入っていましたが、もう同じ題名の著作が出版されていて、ドイツの作家が書いていました。悔しかったし、残念でした。当時の私は気取り屋で、大した野心家、罪づくりな青年でしたね。ペン一本で、世界は変えられると思っていました。大学のド真ん中を悠然と闊歩していました。
もう死んでしまいたい…誰にでもあるありふれたこんな感情も、一過性で、人の多くはなんとか踏ん張って、明日からまた生きていきます。誰かの助けがあるといいのに、誰からも理解されないと当人は思い込んでいるから、孤独の裡に奮起して、やり直したりするんですね。
もう少し、甘え上手だといいと思います😊
まぁ人によっては危うい新興宗教に傾倒したりします。
日本の或る有名な評論家は、神田の水道橋から投身自殺を遂げたのですが、彼の場合、橋の欄干から足を滑らせたその時点で《物と化した》と言われています。《物》が川へ落下したと言われます。もはや彼は人間ではないとされているのです。
死を急ぎすぎない…そんなしなやかさ、欲しいですね。
あの世があるかどうか分からないし、苦しい時には号泣しながらでも、愛する人に今すがりつきたいですよね。迷惑かけるのは百も承知、それでもすがりついたほうがいいと思います。人生の木陰で、休みたいですね。
死んでしまいたいと思う背景と事情、誰かに話せば、分かってくれるかもしれません。その誰かを信じたい。
諍いで、誰かを嫌いになったとしても、いつかはその人を許したいですね。
そうやって、人は、ぎこちなく生きていきます。
明日も、生きましょうね。
誰かと一緒に、生きましょう。