大学での研究は、牢獄の収監より劣悪な環境を強いる。


中途半端な知識と論理は、周りにとっての迷惑や害悪になる。


知識と論理のみなら、最悪の人生を送ることになる。そんな人たちが、性犯罪を行なったりする。


女性の下着を盗む者がいる。駅の階段で女性の下半身を盗撮する者がいる。この異常な性癖は日々アップデートされるらしく、最悪の《症例》にならないよう、予防と警戒が必要なのかもしれない。


大卒、とは言っても、その人たちは大学教授でもなければ資格ある法律家でもないのが《フツー》で、職場や町内会や家庭内で大きな顔をされても困る😓

 

詩人ジャン・コクトーは「今日では、愚か者でさえもが考えている」と嘆いた。


私はある禅僧の『考えない練習』という著作が好みで、愛読書になっている。


部屋に書斎があるワケじゃない私は、事実、あまり考えない。考える暇があったら、小銭を稼ぐか、音楽を聴く。


過去の知人は「職場での昼休みは読書に専心したい」と言うから、彼のデータをiPhoneのアドレス帳から削除抹消した。重たいモノが、私は苦手だから。最後に彼へ「そんな本なら未成年のうちに読んでおいてほしかった」と私は伝えた。


気紛れな私は仔猫が好きで、アメリカンショートヘアでなくても、三毛や茶トラで満足し、真っ白い迷い猫を「にゃん介」と名づけた。仔猫の気紛れから、気紛れな私は、気紛れの作法を学んだ。ドストエフスキーには「ドスティー」とあだ名をつけてあげた。


重たいものは沈み、軽いものは浮かぶ。


アリストテレスの定理なら小学生でも分かることだ。


知識と論理…


そんな茶番より、私は女子との際限のないお喋りが好きだ。