欧米の植民地支配主義からアジアを独立解放させた大東亜戦争は聖戦でありました。日本の側が正義の側に立っていました。
日本人精神の神髄は神道・武士道によるものであり、欧米の植民地支配主義に対決し唯一勝利したのです。この素晴らしい神道・武士道の精神を捨てる必要は全くありません。
日本人の多くは神道と仏教を同時に信仰しています。今日では神道は先の大戦を引き起こした原因であり、神道を悪としてとられるために、仏教を信仰しているとは言えても神道を信仰しているとは言いにくい空気感があります。しかしこのように感じる必要はないのです。
仏教の不殺生の考え方は、先の大戦のようなひどい殺し合いはすべきでなかったと、日本共産党の自虐史観に利用されているのではないでしょうか。欧米の植民地主義からアジアを独立解放させた大東亜戦争は聖戦であるのだから、英霊らは見事立派であり大義ある死であったと考えます。
寝返った支那・朝鮮は儒教徒で、アジアで独立解放した国の多くが仏教徒です。仏教の不殺生の教えから大東亜戦争もすべきでなかったと考えるのであれば、アジアの同胞たちは白人にずうっと搾取され続けば良かったのですか。大東亜戦争がなければ日本も植民地になり搾取されることになっているでしょう。白人は自分の利益のために植民地を広げることが正義だと考えるのですから。
仏教は本来、非暴力主義的ではないはずです。目の前で不正義が行われていたら闘うのが道義でしょう。悪に対して逃げず立ち向かうのが正義でしょう。だから日本共産党の大東亜戦争はすべきでなかったという自虐史観を捨てなくてはいけないです。不殺生戒は悪に対しては守る必要がないのです。