dimarzioのブログ -2ページ目

12月10日

今日から日記をつけようと考えた。少しでも気を紛らわせるために!!
昨日の夜から24時間点滴が始まったみたいだ、最初はどの抗ガン剤が合うのかが分からないので少しづつ様子を見ながらだ。
副作用が出るのかと思うと辛い、変わってあげたい。病気を心底憎む!!!

12月1日

父親の手術で12月1日の夜から帰り12月2日の手術に付き添うつもりだったから店は休みにしていた。しかし手術が出来ないと知っているので普段どおりに予約を入れていった。母親から12月1日の夕方、店に電話をかけてきた。「明日の手術が中止になったから来なくていいよ。」
僕は何も知らなかったふりをして「じゃぁ、仕事するよ。」予約表に目をやりながら、「ごめん」と思った。

11月30日

仕事をしていると病院から一本の電話が入った。担当の先生が話がしたいと!いやな予感が脳裏をよぎる。
僕が働いてる場所と病院は100キロ程離れてるので車で約2時間。散髪屋を経営しているので予約のお客さんに連絡して今日は無しにしていただいた。服を着替える間もなく、嫁さんと子供に連絡を取り僕だけが行くと伝えた。車に乗り急いでいく。いつもより車が遅く感じた。病院に着くとすぐに個室に案内されて両親には今日の話は内緒にしてくれといわれた、来たこともだ。ますます体がひきつりそうになる。
恐怖の先生との話が始まった。CTの写真やレントゲンのを見せられながら何か、ドラマや映画のようだなと感じた。手術の予定でしたが出来ないと言われた。みるも無惨にあちらこちらにガンがあるようだ、その種類は腺ガンだそうだ。そのガンが食道を狭窄しているから食べ物が通りにくいといわれた。父は71歳で手術に耐えれる体力がないのだ。そして腎臓もあまり機能していない、スカスカですよといわれた、大動脈、大静脈のまわりにもほらここにもと言われながら空返事をするしか出来なかった。想像よりも最悪だ。。
何もしなければ後どれくらいの命ですか?と聞いてみた。テレビのようにそんなことは言えませんけど。来年の3月位には・・・。
自分自身の震えがとまらなくなっていた。
医師としては抗ガン剤で治療したいという事だった。頭の中で苦しむだけじゃないのかと思った。僕としての気持ちを医師に伝えた。
「予定どおりに12月2日に手術をして欲しい、そしてそれで死んでも父親は痛みを知らずに死ねるんじゃないか。」
すると医師はお気持ちはわかるけどもまだ生きれるのに何故あきらめるのか?それは出来ない。
悩んだ末、医師にまかせることにした。病気の事はだれにも内緒でと頼んで!