- 前ページ
- 次ページ
歴史に残る悲惨な 2011 3 11
まだまだ心が正常には戻れない
この3日間、なんだか呆然の上に過ごしている。
最初の揺れの時は、まさか!?
当然軽い揺れで止むのだろう・・・と。
現場で打ち合わせの中、「外に出た方がいいですよー!」
の声に(何言っちゃってんの?)なんて気持ちで促され出たものの、
その内何時もと違う!?どんどん強くなる揺れに頭を上げると
目の前には、首都高の電燈、緑の看板がいまにも振り落とされんばかりに!?
地面からも突き上げる地響きとうとう立ってはいられなくなり誰彼構わず、支えあい
姿勢を低く揺れのおさまるのを待つものの一向におさまる気配すらなかった。
いち早く携帯テレビにイヤホンで情報収集して[仙台!仙台震源地!」と叫んだのは
一番の長老だった。まだ揺れはおさまってない時に。
両国を超え、其々ひとまず家なりに送り届ける道順は中央通り~靖国通りを神田に向かった。
途中の日本橋三越、交差点、人人人は勿論初めて見る光景、朝のラッシュ時のそれとも全く違った。
デパートもオフィスビルも中からなだれ下りても広場など無く、交差点の四方に
ヘルメットを被り、防災頭巾を被り・・・。
(ドキッ)また揺れてる 余震。
11日夕刻にはもう車酔いか何かの様にもう、気持ち悪い
同行していたスタッフを送り届け終わる頃にはふっと、我が家の事が頭に浮かんだ
家族は今夫と二人、一緒だったのだけど、ビル8階に住む方のお宅がめちゃくちゃ
だと聞くと、、、あの鏡は?マイセンは?リーデルは?!テレビは?と家の中の光景が浮かんでは消え・・
家の被害は殆ど無かった様なもの。
勿論多少、そして物は落ち、タンスの引き出しが出たりと。
・・・・・・で、テレビをつけもう、(何だか受け止められない恐怖信じがたい光景が頭をオカシクする)
夜になれば家の前の主要道路は帰宅難民と呼ばれる人の流れは切れることなく続き・・・・
道路は渋滞人と車の山
飲食店はどこも行列。
コンビニなどは決まった商品棚は何処も空っぽ”
やはり、今私に何が出来る?
今、家に何が出来る?
そんな言葉と、やりきれない気持ちと裏腹に温かい家で食べたいものを食べ、タバコを
吸って・・・・・何が出来るか!の焦りと自分の欲を埋めることとの裏腹さにそろそろ
嫌気と苛々で限界
金曜我が社にとっても大事な日だったのがあのまま止まっている。
そろそろ、気持ちを入れ替えようと思う。
何時もより気合を入れて!気合を入れようと思う気持ちと同時に
未だ流れるテレビからの悲痛な叫び声と、、、強い揺れ・・・・長い・・止まった?
で、込み上げるものと涙が目頭を熱くする。・・・・・ぐっと堪え気合。
気合
気合


。
ょネ。
下さい。<(_ _)>