夢の途上で ひと息つけば…

夢の途上で ひと息つけば…

ひとみな赴く夢の旅  夢の途上でひと息ついて  旅の途中でみる夢は  どんな思いの宿るやら

 


世の中に
不思議なことは 無数にあって

それら全ては 日常の
光のもとには 姿を見せず
気配を現わす こともない

例えばそれは 百年後
あるは例えば 百年以前
これなる場所が どうなのか
ひとには全く 判らない

さてはそもそも 1年後
あるはたったの1時間
過ぎた世界も 判らない
まして況んや 人目には
ひとの社会の 外れに往き交う
影らの姿も 判り得ぬ

それは例えば
鳥たちが 空の通い路を
判り尽くして 飛び行くように
判るものには
知られるらしい

あたかもそれは
ひとに影が
寄り添うごとく
形なすもの
そのものごとに
見えない影が
付きまとう

いうなれば
われらは 絶えず
妖精たちと
背中合わせに 生きている

識ると識らずに
かかわらず

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


眼に見えぬ
流水プールを
漂うように

涼やかな
秋の大気に
包まれながら
底知れぬ
秋の深みに
誘われながら

道をさまよい
時とうつろう
これなる影は
わたしという名の
秋の旅びと

時をさすらう
旅のもの
たとえ身体を
失くしても


 

 

 

 

 

 

 

【上】
私が好きな楽曲のひとつに、フランスのモーリス・ラヴェルの作品『亡き王女のためのパヴァーヌ』というものがあります。

このタイトルを見る限り、ある国の幼い王女さまが亡くなったので、その追悼のために作曲された優しく哀しい舞曲、といった印象を受けます。私は長年、そのように受け止めておりました。現に私は、そのようなイメージを長らく懐いていたせいで、いつもいつもこの楽曲を耳にするごとに、決まってあるひとつの哀しい物語が脳裡に思い浮かぶのです。

それは6歳の誕生日が過ぎたばかりの、小さな王女さまでした。
ある年のクリスマスの朝のことです。王女さまは大好きなおばあさまに、クリスマスのプレゼントにと言って、前夜にお母さまから教わって一所懸命に拵えたケーキを小さな箱に入れ、それを収めた包みを提げて、おばあさまと共にクリスマスのお祝いをしようと思い立ちました。そこで王女さまは、いつも過ごしているお城を出て、真っすぐ大きな森を突き抜けていったところにある、おばあさまのお城に向かって、ひとりで歩いて行くことになりました。

およそ一年ほど前に、お母さまと一緒におばあさまのお城に向かって、手をつないで貰って歩いて行ったことがありますから、道は覚えている筈です。彼女は自信をもって、元気に片手に包みを提げて、朝にお城を出発しました。

道は殆ど真っすぐに行けばいいのですから、お昼前には向こうのお城に到着する予定でした。

ところが自分のお城を出てから暫く行くと、段々と雲行きが怪しくなってまいりまして、やがて雪が降り出しました。

雪は次第次第に、降りかたが激しくなっていきます。

大きな森に差し掛かってからも、雪は降り止まぬどころか、ますます激しくなってくるようです。
 

 

 

【中】
森を歩いていても、何だか道があるのかないのか、どこが道なのか道でないのか、とうとう王女さまには訳が分からなくなってきました。今は一体、何時ごろになっているのでしょうか。王女さまは、疲れてきましたし、お腹もすいてきました。でも歯を食いしばって、どんどんと歩き続けました。その時彼女はふと、あることを思い付きました。

道に迷ってしまわないように、通りすがりの途中の木の枝を、ポキリと折っておいて、帰る時の目印にしておこうと考えたのです。すぐに王女さまは歩きながら道脇の樹の、か細い枝をポキリポキリと折っていきながら、そろそろと歩いて行きました。

どれほど歩き続けたことでしょうか。何だか森はずっと続いていて、まだまだ終わりが見えてこないようです。こんなに大きな森ではなかったと思うのですが、王女さまはどこか心細くなってきました。脚も何だか、疲れてきました。

それでもトボトボと歩いていましたら、ふと見ると、道の脇の樹の枝が折れているのが目に入りました。彼女は驚いて、まじまじとその手折られた細い枝を見つめました。彼女の手が届く高さの枝ですから、これは自分で折ったものに違いありません。

彼女はその場でストンとしゃがみ込んでしまいました。いつまにか彼女は広い森の中を、あてもなくグルグルと歩き回っていたのでした。もう今となっては、ここからどうやって外へ出たらいいのかさえ、王女さまには分からなくなってしまいました。でもこんなところで、泣いていても仕方がありません。
雪の中にしゃがみ込んだまま、彼女は哀しい思いのまま、おばあさまにと自分で作った、包みの中のケーキを、とうとう自分で食べ始めてしまいました。

少しでも元気をつけて前に進んでいかなくては、と考えたのでした。でも彼女は、その広い森から出ることは結局出来ませんでした。クリスマスの翌日の朝、王女さまは吹雪の冷たい空の下、凍えた姿で発見されたのでした。

その手にはケーキのかけらが、こびり付いておりました。
 

 

 

【下】
しかし良く確認してみると、作者のラヴェル自身には当初からそのような明確な意図などは全くなく、

『遠い昔のある国の王女さまが舞い踊ったかのような、優雅な調べ』

といった、ぼんやりとしたイメージを作品化したものであるようです。

 

ラヴェルがフランス楽壇にデビューしたのは、彼が若干23歳のことでした。
そしてこの楽曲がピアノ曲として作曲されたのは、その翌年の24歳のことでした。
自身このメロディーを気に入っていた彼は後年、これを管弦楽曲に編曲もしております。
ところが57歳の年に自動車事故に巻き込まれて、彼は頭部に大きなダメージを受けます。それがもとで、それからの彼は作編曲は固より、脳内の楽曲のイメージを五線譜に書き留めることが一切できなくなってしまいます。

その事故から5年後に彼は亡くなってしまうのですが、晩年のある日、友人と二人で街を歩いていた時のことです。

不意にどこからか、ある音楽が聞こえてきました。野外で簡単なコンサートでも催されていたのでしょうか、しばらく二人は、それに耳を傾けていたのですが、それが他ならぬこのパヴァーヌのメロディーだったのです。

数十年も以前、自身の青春時代に作曲した筈の作品なのですが、その時に彼が相手の友人に向かって放ったひと言は

『あぁ、いい曲だなあ。これを作った人というのは、一体どんな人物なんだい?』という言葉でした。
 

このようなわけで『パヴァーヌは 二度哀しい』のです。

 

 

 

おはようございます
この国じゅうで 一体
どれほどの人々が
お越しを望んでいたことか

焼けついた 大気をいやし
ひび割れた 土地を潤し
ひとの心にも
瑞々しさと 活力を与え
脳裡の地平に 涼やかな
天界の香を 行き渡らせて
いのちの恵みを 稔らせる

この国の あらゆる樹々が
秋から冬にかけて
新たに年輪を 加えるように
私もひとつ 歳を重ねます
これ全て あなたのお蔭です

でき得る限りは いつまでも
この地を去らずに
いてくださいな
いつまでも

 

 

 

 

 

 


海の彼方の 遙かな国へ
いのちに代えても大事なひとを
遠く去られて 海辺にひとり
波と戯むる 乙女のごとく

胸の焦がるる 切ない国は
目路の向こうの 空のした
夢のひかりの 霧のなか
息をひそめて 浮かんでは
遠くわたしを さしまねく

甘く不思議な 香りに満ちて

(24歳当時の詩稿から)
 

 


夏がどんどん 長くなり
秋がみるみる しぼんでいって
やがてなくなる
日が来るという

わたしが生まれた
ふるさとなのに
ひとの魂 あるはまた
生い茂る樹々の
いのちにとって
実りの季節で あるはずの
慰安と憩いの ひとときの
根っこを無くして なるものか

あたかも 今は
いがみ いさかう猫のごと
夏の女神と 秋の女神が
差し向き合って
鼻 突き合わせ
負けじと互いに
張り合う季節

清澄な 大気の中に
ほのかに漂う
キンモクセイの香りと共に
天上界の 花園の
面影宿す 秋の気配を
見失わない 私で居たい

何より わたしは
故郷を忘れた者になど
決してなろうと 思わない

年経るごとに
秋の女神の 絵姿が
おぼろに はかなく
なりまさり
霧と消えゆく 虹のごと
虚しくなるのを
とどめるために

わたしの心の アンテナを
もっと するどく
細やかにして
秋の女神を お迎えしたい

わたしの心の絵の中に
秋の姿を
とどめるために

いつまでも

 

 

 

 

 

 

 

私のあずかり知らぬ
ひみつの世界が
この天地の
奥底には
どれほどの数が
潜み隠れて いるものか
私は さらに
気付いてさえいない

世にも妙なる
旋律たちの
言語を絶する
面差しだとか

光と影の支配する
目くるめく
永劫のステージの中に
立ち現れる
世界のすがたとか

これらすべてが
天地に埋もれ
隠された
知られぬ秘密の
証明ではないのか

かそかな暗号たちの
ひとつひとつを
拾い上げ
嘆賞するため
そのためにこそ

わたしの
歩き続ける
意味合いも
現れいずる
ものらしい

 

 



頭上に広がる
果てしのない青空を
ひとめ見て
あるひとは
生きる悦びに
胸躍らせる

また別のひとは
「死にたい」とつぶやく
何が この差を生み出すのか
この深い懸隔の谷間の奥底に
音なくうずくまっているのは
どのような怪物なのか

それでも
不幸というものは
死んでも消えない
不幸のねもとの 火の種を
もみ消し
踏みつぶし
根絶やしに するまでは
みずからの手で
自身の力で

まだ見ぬ絶景などは
無限にあって
まだ聴かぬ名曲は
無尽蔵
まだ知らぬ名物料理も
星の数ほど
胸躍る映画なら
数知れず
心豊かな 信頼できる
人物だって 本当は
至るところに
わんさと 隠れている

生まれてきた以上は 必ず
笑う権利は『保証付き』
どんな貧乏の中にても
日ごとに笑うことは
自分次第
 そう

ちいさな 生きる悦びを
自分ひとりの 宝石を
見つけて
捉えて
摑まえるのは
あなた次第

誰かではなく
あなたの中に
あなた自身の
思いがあれば
いつでも笑顔で
生きられる

 

あなたの胸に
その気があれば
ありさえすれば