横浜情景(24)箱根駅伝を支える人たち@横浜市場前11.1.2.
80年代前半活躍したイギリスの陸上中距離選手、セバスチャン・コーの走りに魅せられて(80モスクワ五輪1500m金800m銀・84ロス五輪1500m金800m銀)から、陸上競技が好きになりました。81年公開されたイギリス映画『炎のランナー』はコーとスティーブ・オベットをモデルにしたんじゃないかと思ったほどです。(種目も違うし、実在のモデルは別の人物なのですが)
箱根駅伝を沿道で声援するようになって、もう20年になります。
義父が神奈川陸協会員で、箱根駅伝では30年以上走路員を務めているので、私も結婚してからは往路の2日は義父の担当地区で、母校中大を声援するようになりました。ここ3年は鶴見中継所から7.3㎞、横浜市場前交差点が義父の担当です。
通行車両がいなくなり、先導パトカーが見えてきました。上空でヘリコプターの音が聞こえます。今年からY新聞販売所員が配る手旗がビニール製で1人1本になりました。エコと逆行するようですが、紙手旗は消耗品で大量のゴミになります。手旗を持ち帰ってもらおうと駅伝グッズの応募券をつけたり、いろいろアイデア尽くしましたが、結局出場校の大学名入れたビニール製の方が、記念として皆持ち帰りそうです。
テレビ中継車が通過後、いよいよ先頭ランナーが見えてきました。今でこそワンセグでリアルタイムで状況が分かりますが、昔は街頭テレビを沿道に出し、酒を振る舞う商店街もありました。
トップは早稲田大学の平賀選手。(隣で振る手旗にピントが合ってしまいました
)
2位は日本大学のベンジャミン選手。関東インカレと日本インカレの10000mチャンプ。去年卒業したエースランナー、ダニエル選手の後継者として期待されています。
3位は拓殖大学のマイナ選手(1区17位から14人抜き、最終7位)。マイナ選手に迫る4位グループは東海大学エースの村沢選手(1区最下位20位から16人抜き、最終3位)と明治大学エースの鎧坂選手(1区15位から11人抜き、最終4位)
テレビに走路員を務めるお義父さんが映っていました。
有力校エースに華麗に抜かれた【斬られ役】【やられキャラ】の一群デス(大変失礼致しましたm(_ _ )m)。
【斬られ役】【やられキャラ】一群よりさらに遅れをとった母校・中央大学
。。。
96年優勝した頃が懐かしいです。。。
鶴見中継所で60秒以内に6位から15位までの10選手が団子状態でタスキリレーしたため、先導オートバイが余ってしまいました
シード校(総合10位以内)争いが苛烈をきわめるので、明日の復路を走る仲間のためにも、1秒でも差を詰めようと走る選手たち。
城西大学は惜しくも総合11位。往復217.9㎞、11時間かけて10人でタスキを繋いで、10位の國學院大学と3秒差で来年のシード校(10位以内)から漏れました
地元の神奈川大学が最後でした
。沿道からため息が漏れます
。97年98年と箱根を連覇した頃の面影はありません。
最終走者が通過すると交通規制が解除され、沿道の人も自宅に帰ります。小型犬
を湯たんぽ替わりに抱っこして沿道で選手を応援する人が多いです
。
走路員のお義父さんは、歩道橋への立ち入りを禁止するテープを剥がし、交通整理に協力してくれた神奈川県警に御礼の挨拶をしていました。黄色のジャージの学生は、KGRR(関東学生陸上競技連盟)加盟大学から派遣された補助員。「今年は走らせてもらえるんです」と嬉しそうに話していました。
明日の復路についての打ち合わせをします。
お義父さんからお土産をもらいました
駅伝手ぬぐい(去年のもの)の左半分です。
右半分です。寿司屋の魚編ならぬ、足編の漢字尽くしの手拭かと思いきや、楽しい造形文字でした。
箱根駅伝は今年で第87回。伝統あるサッカー天皇杯と3年しか違いません。
記憶に残る2区名勝負といえば、93年第69回大会、早稲田の渡辺康幸と山梨学院のステファン・マヤカの一騎打ち2人だけ異次元の走りをしていました
地面に足が付いていないんじゃないか
と思えるほど腰の位置が高く、まさに飛ぶように目の前を一瞬のうちに通過しました
大(だい)エースだった渡辺康幸が監督となり、18年ぶりに早稲田に総合優勝をもたらしました。また当時の早稲田の主力選手が新設大学の陸上部監督となり、箱根駅伝出場校に名を連ねています。この連綿と続く歴史と伝統が箱根駅伝の魅力です。
今年、鹿島アントラーズはクラブ創立20周年を迎えます。大学駅伝と似て、4年周期で新しいチーム造りの年が巡ってきます。今年がその年ですが、ブレないチーム造り・ブレないサッカーをこれからも続けていくのを見守っていきたいと思います。