佐伯ファンの皆さ~ん←こればっかり(笑)
相変わらず、神奈川新聞 のベイ記事は良い!(・∀・)
今回は佐伯くんの記事ですね。
村田ファンには悪いが「男」といえば佐伯くんなんだよねぇ~
以下、神奈川新聞さんの記事
パシーン、パシーン…。全体練習後、人もまばらなグラウンドの片隅で佐伯はようやくティー打撃を始める。背筋をピンと伸ばし、バットを天に向け、その反復作業はさながら武士の作法を思わせる。ティー打撃が終わったら、室内練習場に向かい今度はマシンを相手に打ち込む。入念なケアを終え、球場を後にするのは夕暮れ時。練習量はやはり、ずぬけている。
年を重ねたベテランの誰もがそうであるように、佐伯にとっても一年一年が勝負だ。昨季は過去4番目に少ない90試合にとどまり、オフの大減俸からスタートした。体力の衰えこそ隠せないが、「自分には役目がある。準備をして、チャンスをもらえればやれる」。それが持論だ。
首脳陣から、「来年は(先発で)もう使わないよ」と厳しい言葉を聞かされた。その通りに今季序盤は出場数が減ったが、指揮官交代で好機が巡ってくる。村田離脱で存在感は高まり、自らの腕で再び5番に定着。勝負どころでの集中力は変わらない。それでも佐伯の表情はいつも険しかった。
チームは2年連続の最下位。言いたいことは山ほどある。「本当に情けないし、言葉にならない。去年と同じような負け方。若い選手には、何かを得てほしかった。勝っても負けても反省することはあるはず」
かつての強い横浜を知っているからこそ物足りない。競争意識の希薄さと負け戦で染み付いた劣等感。「『おれの時は』って言いたくないけど、仲良しチームで傷のなめ合いでは駄目。昔(98年)はそんなにみんなが仲がいいというわけでもなかったけど、ユニホームを着れば同じ方向を向いて戦っていた」。誰にだって心の弱さはある。厳しく自分と向き合い、鍛錬を積むことがプロであるのだと-。
押しつけがましく若手に自ら教え込むことはしない。手本であるが先生ではない。それが一選手としての自負でもある。ただ、「聞かれたら全部教える。3年前にファームに落ちた時に『上(1軍)に上がりたくないのか』と感じたこともあった」。し烈な競争を生き抜いてきた経験がそう言わせるのだ。
97年から毎日、5行ほどの短文ながら気付いたことを日記につづっている。打てない時は「また同じ精神状態や、って思うこともある。ああ、こんなことを考えていたのかと。いろんな人に支えられていたことも分かるし、参考になる」。
40歳代の生え抜き選手は球団史上56年ぶりの快挙となる。佐伯は「節目といっても、41、42になったらそう言われなくなるんやろ」と笑い飛ばした。
旅路は終わらない。一日、一年でも長く、「佐伯貴弘」の自伝を紡ぎ続けるつもりだ。