西塔尋人の憂鬱

1.

「西塔尋人[サイトウ ヒロヒト]は25年と146日の生涯を終えます。何か言い残したことはありますか?」

 …遠くから声が聞こえる。宙に投げ出されたかのように、体が軽く感じられる。
朧気に思い出してきた。俺は車にはねられたんだ。そしてどうやらこの若さで仏様の仲間入りみたい…

「人を待たせているんだ。せめてそれだけでも…」
「それじゃ生き返って良いよ。ただし、嘘をつかないという条件付きで」


 自分の部屋のベットで目が覚めた。交通事故と、謎の声の事は覚えて…いる。なのにどうして部屋に?

「僕が待たせている人は、男である」
おもむろに嘘の独り言を呟いてみたが、体に変化はない。脱ぎ散らかしてあった服に着替え、取るものも取らずに出掛ける。
もちろん、約束の場所へである。


2.


「あれま、早速嘘を吐いたね。では約束通り死んでもらいましょうか」

 俺は懇願した。
「そんな、待ってくれ! 大事な用があるんだ。頼むっ!」
「無理ですサーセン…」
 俺は土下座して許しを請いた。
「見逃してくれ。彼女に何も知らせる事ができないまま、いなくなる訳にはいかないんだ」
「サーセンセイ…センセイ。おーい、先生」

 …ふと目が覚めた。そして知った。自分の部屋で目覚めたのも、夢。
県立高校の一室で、顧問を努める部活動の最中に居眠りをかましてしまったのだ。
副部長を努めている男子生徒の呼び掛けによって目が覚めた。
「新聞の一面は、『乱れた教育現場、教師の居眠り発覚!!』に差し替えるか?」
 別の部員がデジカメをちらつかせながら皮肉を言う。
その隣りでは部長を努める女子生徒が、先ほどの私と同じ体勢で眠りこけている。
これが新聞部の普段の姿。


3.

 トイレに立つ。
「スティッキィフィンガーズッ(開けジッパー!)」

 隣りから声が聞こえてきた。
「調子はどうですか?」
 年配の老教師が話し掛けてきていた。物腰が柔らかく、教職について間もない頃の俺に声をかけてくださっていた御仁である。
「はい、お陰様で。クラスの皆は真面目ですし、新聞部の部員達も個性的で、新米なりになんとか上手くやれています」
 そう言うと老教師はにっこり笑い、そうですかと相槌を打つ。そしてスティフィンの体勢を取る。
隣りに立たれると引っ込んでしまうタイプの私は、場の空気に思わず困ってしまった。

 今後は背後から声が聞こえてきた。
「嘘ついたでしょでしょ?」
 その一言に思わずドッキリ。そして記憶がフラッシュバックする。
確かに俺は嘘を吐いた。俺が担任のクラスは比較的真面目な生徒ばかりではあるが、"皆"ではない。不真面目の範疇に入る生徒も少なからずいる。
あの約束ごとはまだ続いているのか!?
今の嘘みたいな、揚げ足取りのようなケースまで"アリ"なのか…

「嘘ついたでしょでしょ?」という、ふざけた耳障りな声が、頭の中にこだまし続けていた。


4.

「嘘ついたでしょでしょ」
「本当が嘘に変わる世界で」
「夢があるから強くなるのよ」

「ジャスラック申請中ー!」という大声と共に我に帰った。
また夢を見ていたのだろうか。
交通事故現場、自室のベット、学校、トイレ…そして今は高級そうなレストランにいる。
周りには俺を見る大勢の視線。そして正面の席に、真っ赤なドレスを着た美しい女性がいた。


 色々と端折って、現在は夜の公園に来ている。赤いドレスの女性が隣りにいる。俺は緊張している。彼女も緊張しているのだろうか。
「桜が咲いていても、夜はまだ寒いですね」
 彼女が話し掛けてきた。
「そそっ、そうですね!」慌ててしまい、ちょっと訛りが出てしまった。
とにかく落ち着こうと深呼吸してみる。そして彼女を見た。彼女も俺の方を見ていて、思わず目が合う。
ぱっちり開いた目をしている。口紅はドレスの色と同じ赤で、髪型は名前が分からないが時間を掛けてセットした感じのになっている。細くて繊細で、ちょっと茶色に染めてある。触ってみたくなる髪型だ。触るついでに頭を撫でてみたい。そしてあわよくばその場の流れで彼女を抱き締めたい。
まずい、興奮して訳が分からなくなってきた!


5.

 一人であれこれ考えていたら、彼女が話し掛けてきた。
「今日は食事に誘ってくれてありがとうございました。とても嬉しかったです」
 笑った顔がとてもきれいだ。
「喜んでいただけてなによりです」と返した。
「今度は私がご馳走しますね」と彼女が言った。「実は料理得意なんですよ」と付け足しが入る。
「へぇ、そうなんですか。どんな料理が得意なんですか?」と返す。
「オムライスに肉じゃがにカレーライス、ハンバーグとかも得意ですね」と彼女。「最近ビーフストロガノフを覚えたんですよ。西塔さんはビーフストロガノフはお好きですか?」と質問が付け足された。
 ビーフストロガノフって何だ?
聞いた事はあるけど、どんな食べ物なのかが思い出せない。
「大好きですよ! 赤坂さんの作ったビーフストロガノフを食べてみたいな」と答えた所で、謎の声の事が頭をよぎった。しかし言ってしまった手前、後には引けない。
「西塔さんってアレですか?」彼女、いや、赤坂さんが言った。
「ぶっちゃけどうて…


6.

 その言葉を言い終える前に話を遮った。
「ごめん! 本当はビーフストロガノフがどんな料理なのか知らないんだ。今のはノーカンにしてくれ」
「無理です」彼女は続けた。「ビーフストロガノフは問題ではありません。先生は名前を間違えた。赤坂ではなく、紅坂です」

 そんな馬鹿な。
私が吐いた嘘は、彼女の名前の読みではなく、漢字の方だと言うのか。小説じゃないんだから、口答で漢字を間違えるなんて有り得ないじゃないか。そもそもこれは嘘と言えるのか?
「間違いは間違い、先生は嘘をつき過ぎたのでやっぱり死んでもらいます。さよおなら」



「そんな馬鹿な!」
 俺は同じ台詞を、今度は声に出して言った。
「これくらいぶっとんでいた方が受けが良いんですよ」と彼女、いや、新聞部の海崎部長が返す。
彼女はたまに、身近な人物が登場する小説を書いてはそれを新聞の記事として掲載している。
確かに面白いのだが、シュールすぎて大半の読者はついてこれない。一部、熱狂的な読者はついているようだが…

 さて。
未だに主人公が登場していませんが、これで終わりです。次のお話が出来上がるまでごきげんよう。


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