善き死のために 7
7. 現実空間
健悟は、4人を乗せた車が大通りを曲がり、見えなくなるまで門の前に立ち尽くしていた。それから、もう正面玄関はしまっている時間なので通用口に行く。門限破りの常習犯だが、やっぱり今日は怒られるだろうなあ、と思いながらドアを開ける。
「健悟」
目の前に、息を切らした白衣の女性が立っている。全身に怒気がみなぎっているのが見て取れた。しかし、目は涙目だ。
「…綾子さん…た、ただいまー、なんてね」
健悟がおどけてみた。
「何でこんなばっちり立ってるの?」
「守衛さんが健悟が帰ってきて門の前にいるって電話くれた」
「あちゃー」
僕らそんなに有名ですか、と健悟が笑った。綾子はにらみつけたまま泣き出した。健悟は、綾子を困ったように見て、微笑んだ。
「とりあえず、ナースステーションに遅刻のこと怒られに行って来ます。僕の部屋にいてくれます?」
健悟は2歳上の元恋人の前に立つと、穏やかに肩を抱いてエレベータの方へ促した。綾子は何も言わずに従った。
健悟が看護師たちにがっちりと叱られ、問診とバイタルチェックをされ、念のために点滴をされてようやく自分の病室につくと、窓を開け放って綾子が窓辺の椅子に座っていた。一応9時の消灯後なので明かりはスタンドと枕の上の蛍光灯だけだった。4畳半ほどの個室に洗面台とトイレ。窓辺に簡易デスクがあり、綾子はそこに健悟のパソコンを広げていた。画面を見ると、『善き死のために』のチャット画面だった。
「管理人さん、なんか言ってきた?」
「4人がスーパーに寄った後、内藤寧子さんの家に到着したことを確認したって」
「あ、よかった」
「今回結構車飛ばしてたし道すいてたから追跡が大変だったって言ってらしたわよ」
「あはは、まあすんません」
健悟は、綾子が先に持って戻って壁にかけたミニボストンのサイドポケットを探った。
「PHS、ベッドサイド。充電器の上。さっき、メール着たから。ミサオさんから、無事にヤスコさんの家につきましたって」
「あ、本当」
健悟は、ベビーチョコだけポケットから出し、いやあん、女の子からのメール勝手に見たのね?とふざけながら自分でも文面を確認する。どさりと身を投げ出すようにベッドに座り込む。綾子が少し眉根を寄せる。
「疲れた?」
「まあね。でも最低限の報告はしないと」
そういうと、健悟は綾子からノートパソコンを受け取って自分で打ち始めた。綾子はスポーツドリンクを備え付けのミニ冷蔵庫から出してコップについて健悟に渡す。健悟はそれを空中で受け取って3口飲んでからサイドボードに置いた。そのまま10分ほど猛烈な勢いでキーボードをたたき、最後に送信を確認して、小さくため息をついてパソコンをスリープにして閉じた。
「もういいの?」
「うん」
「うまくいってよかったね」
「うん」
「でも今回も失敗したら本当は一緒に死んじゃってもいいかなって思ってたでしょう」
「まあそのタナトス効果がたまんなくてね、って、なんてひどいことを言うんだ、ちゃんとできる限り帰ってくるつもりでしたよお。サイトスタッフのこと信頼できるし、宿泊も予定通りのシンパのホテルだったしね、最悪、僕が失敗しようが誰かが暴走しようが、なんとか死んじゃう前に止めてくれるとわかってたから」
「フェールセーフがあるってわかってることと、死んじゃってもいいかと思うのは、別のことでしょうが。もう、ごまかして」
今度は綾子が大きく深呼吸のようなため息をついた。そして健悟の前に立ち、その頭を抱えるように抱きしめた。
「それでもあたしは心配だった」
「うん」
「急変したりしてないかなとか」
「そこは僕も自己診断しますって」
「薬ちゃんと飲んでるかなって」
「幸田先生怖いから忘れません」
「自殺しなくても事故にあわないかなって」
「あのねえ、綾子さん」
苦笑しながら健悟が綾子を自分から引き剥がして顔を見る。
「それは誰でも生活していればありうるレベルの危険だよ。僕が何してたって、たとえば中のコンビニに飽きて外のパン屋に行く途中でも車に轢かれることはありうる。部屋でおとなしくしてたって可能性で言えば僕の態度の悪さに切れて疲れちゃったスタッフが薬間違えて死ぬことだってありうる。風呂で滑って死ぬことだってそれなりに可能性がある深刻なことなんだ」
だから、そんなにむやみに心配しないで、と笑った。綾子も自分が心配のしすぎだということがわかっているから少し目じりを赤くしてうつむいた。しばらく開け放った窓から聞こえる近くの高速と高架の電車の音だけが部屋に流れた。落ち着いてきた綾子が口を開いた。
「ねえ、もうこれが最後だよね」
「え?」
「『善き死のために』のガイド役引き受けるの」
「それはわからない」
「…どうしてこんなことしているの?どうして健悟がするの?ほかにもサイトスタッフならいるじゃない」
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