善き死のために


 名古屋駅~熊野ヴィラ 2010年5月10日午前10時から午後7時


「道どうしようか」

聡がナビを操作しながら聞いた。聡の車はセルシオの最後のモデル、色はパールホワイトだった。中古で買って3年目の車だというがくたびれた感はない。運転は聡、助手席は後ろに大きい人が座るときついから、という理由で健悟、後ろは話し合うこともなくなんとなく運転席側から寧子、美紗緒、幸太郎の順になった。全員の荷物は聡のセカンドバッグと寧子と美紗緒のポーチ以外はトランクに入れた。美紗緒は、幸太郎に「携帯は出しておいたら」といったが幸太郎は持っていないと応えた。

「できるだけ海沿いの道にしましょう。どこにも寄らない代わりに、有料道路もあんまり乗らなくていいでしょう。まずは東名阪で、後は下道で鳥羽パールロードのほうから行きませんか」

健悟がガイドブックの地図のページを示しながら言う。

「そうだなあ。ホテルの予約どうだった?」

「あ、さっきの雑誌にあったホテルオッケーでした。和洋室タイプで5人泊まり可能、大浴場・露天風呂あり、です。8時着予定でも部屋食もできるそうです」

「さすがゴールデンウィーク直後の平日だ。じゃ、そうしてもらおう」

「はい、一応そうしてくれるように言ってあります」

男性二人が手際よく決めていく。エスコートをしなれているのか、人に指示をすることに慣れているのか、その両方か。寧子は、両方だろうなと踏んだ。自分も段取りを組むことに慣れているが、2人でこれだけ手早く手回ししてくれるなら、私は何もする必要がない。楽だ、と思った。

「昼ごはん、何がいいかなあ」

「夜、海鮮メインですが肉付ですからねえ。かといってあまりがっつり食べても。昼までにできれば鳥羽までまず行きたいですね。ドライブインみたいなところか、何か買い込んで車内で食べることになりますかね」

「ああ、時間的にはそうだね」

「運転、必要でしたら代わりますんで。むしろ積極的に運転してみたいし」

「ありがとう、まあ、まずは俺が」

聡さん、一人称が俺になっているな、と美紗緒は思った。うちとけるの、はやい。

「美紗緒さん、紀伊半島は行ったことあるの?」

「ありません。旅行ってほとんどないんです。幸太郎君は?」

「ないです。旅行は修学旅行ぐらいしか」

「そうなの?中学3年よね、修学旅行もう行った?どこだった?」

「あ、広島で…小学校は日光でした」

「え、日光?」

「小学校は東京だったんです」

「へえ、いいわねえ。おばさん東京に住んだことないわ」

幸太郎は困ったように笑った。話が切れてしまう。

車が走り出した。とても静かだ。聡の運転がうまいということもあるだろうが、高い車は静かなんだなと幸太郎は思った。

車は名古屋の市街地を抜けていく。名古屋は運転が荒いというが、確かに周りの車も法定速度など守っていない。守っているほうがかえって邪魔になっているくらいだ。庄内川を渡り、木曽三川を渡る。とても長い橋だったが、思ったより時間がかからない。普段の名古屋は知らないけれど、車の流れが順調で、美紗緒はこれは幸先がいいというべきかしら、と考えた。


「そうだ」

三重県に入って10分ほどしたところで健悟が話し出した。それまで車内はずっと沈黙が続いていて、なんとなく雰囲気が重かった。4人は気づいていなかったが、健悟が話し出したおかげで全員が少しほっとしたほどだった。

「ちょっと自己紹介しません?お互い名前だけしか知らないっていうのもなんですし。プライバシィのこととか考えたんですけれど、まあいまさらって気もしますし」

「プライバシィ」

美紗緒が機械的に反応する。幸太郎もなんとなくしか意味がわからないと思った。

「自分の情報を自分でコントロールする権利のことだよ」

聡が言う。

「だから、いいたくなかったら言わなくてもいいし、こっそり嘘を交えてみるのも楽しいかもしれない。もちろん、つまらないとか、みんなを困らせるような嘘はダメだよ」

後半はわざとらしくいたずらっぽく言う。

面白そうだと寧子は思った。

「じゃあ口火を切ってもらいましょう。言いだしっぺ聡さん」

「え、俺!?」

聡と健悟が掛け合いをし、寧子が笑う。つられて美紗緒と幸太郎も笑った。

「ええー…うーん、名前は言ったね。宗田聡。これがねえ、字がね、宗教の宗に田んぼの田、で聡明の聡なんだ。むねたさとしっていうとそんなでもないんだけど感じで書くとねえ」

「そうだそうだ」

回転の速い健悟が言う。ほかの三人は口には出さなかったが、ああー、と思った。

「そう。で、もう、からかわれたりしてねえ。ま、名前負けせず聡明なお子様だったので、先生の覚えがよかったからいじめとかまでは行きませんでしたけどね」

幸太郎の顔がこわばる。

「ほうほう。ご職業は?会社員?」

「いや、弁護士。出身は長野なんだけど大学から上京して、東京で50人くらい弁護士がいる事務所に勤めてたよ」

「おお、お金持ちっぽい職業ですね」

寧子は顔には出さなかったが、なら自殺するような苦労なんてなかろうに、と思った。

「それがねえ、ちょっと病気になりまして」

健悟が怪訝な顔をする。

「うーん、これをいうとみんなにいやがられるかな。HIVキャリアなんです」

寧子と美紗緒の顔色が変わる。幸太郎も美紗緒たちの反応を見て、なにか大きな問題なのだと思った。

「でもエイズは発症していません。5年位前付き合っていた彼女が実は二股していまして、俺はそれでも好きだったからいいって言ってたんだけど、その向こうの彼氏が感染者だったんだ。家族が薬害で感染していたのが発見されてなかったから、かみそりなんかの共有をしていてうつったみたいで、彼氏本人もぜんぜん気づいてなかったらしい。で、俺は振られて向こうが結婚して、でも去年の夏に元彼女が発症してそういうもろもろがわかって…よく俺を見つけて連絡してくれたとは思う。12月に連絡もらって、謝られちゃった」

幸太郎は、エイズという言葉でHIVの意味を思い出した。

「病院、通ってます?」

「もちろん。ちゃんとコントロールできている。事情を説明して婚約者とも別れた。彼女は幸い感染していなかったし、もう半年くらい経っているから潜伏期間の可能性を考えても感染していなかったってことになる。家族にも職場にも連絡してオープンにしている。そういう、隠すところから差別が始まると思っているから。もちろん職場は法律家の集団だから、みんな意地でも差別はしてはいけないと思ってくれている。でもね、やっぱりね」

「やっぱり?」

「仕事は、俺名指しのは減った。俺は誠実に付き合っていた女の子から感染したんだし、相手も知らなかったんだから仕方がないと思っているが、他人はやっぱりドラッグや同性愛や乱交が原因になりやすいと思っているから、倫理面での心配を受けているんだと思う。特に離婚訴訟なんててきめんだね。まあ、それは漠然としている程度なんだけど。実は製薬会社の事故の集団訴訟で会社側の仕事をやっていたんだが、チームからはずされてしまったりね。で、その関連の医療関係の仕事はみんなはずされたり…。俺は仕事第一でやってきたからね、すごくきついな、そういうのが」

結局俺は仕事が一番大事だったのかな。まあ、実際もう家族ももてない可能性が高いし。そもそも大学を出てから付き合った女の子はその元カノと最近別れた前カノだけだ。前カノ…有加は、それでも別れないといってくれたなあ。でも、俺は有加がどう考えても無理していってると思った。俺だったら、がんばろうと思ってもいつか耐え切れなくなって別れる思ったからだった。振られるのが怖くて自分から先に振った。有加も振ってもらって安心しただろう。あれ?そうすると、結局、HIVで一番差別を表面化しているのは俺なのか?

そこで聡が自分の思考から戻ってきた。みんなが沈黙をしてしまったので、聡は、しまったしゃべりすぎた、と思った。

「あ、でもまあ、もう仕事整理つけてきたんで!誰かが引継ぎできるようにしておいてきたんで大丈夫ですよ!?」

ずいぶんぶちまけたものだなあ、と寧子は思った。すると、思い切ってという感じで美紗緒が話しだした。

「聡さんは、相手の女の人に対して、怒らないんですか」

「ん?うん、まあ、混乱はしたけどね、基本的には」

「でも、勝手に振っていって、病気をうつされたんですよね」

「あー、いや、元彼とうまくいかなくて、俺がそこにつけこんで付き合いだしたけれど、元の鞘に収まったっていう流れだったからねえ。俺のほうがタチの悪い男だったかな」

そうですか?と美紗緒が言う。

「普通、相手のせいにしません?」

「食い下がるねえ。美紗緒さん、なに、やな男でもいた?」

美紗緒は盛大に顔をゆがめて右斜め下を見た。

「愚痴っちゃっていいんだよ?僕らも怒ってやるぞ」

健悟が促すと、美紗緒は怒りを思い出したというように、ついさっきまでとはまったく違う強い口調で話し出した。


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