善き死のために 2


 名古屋駅       2010年5月10日午前10時


幸太郎は、9時28分名古屋着のこだまで名古屋駅に降り立った。一人では新幹線の切符をとることも、乗ることも初めてだった。そして、これから初めて一人で喫茶店に入ろうとしている。中には初めて会う大人(だろう)がいるはずだった。でもまだ誰も来ていないようだ。少し安心しながら、緊張しながら、店に入ってウェイトレスに声をかけ、できるだけ奥の6人がけボックス席に着く。

そして、机の上にベビーチョコを立てて置いた。それが目印の指定だった。

本当に、来るのだろうか。その誰かは僕にとっては死神で、僕も誰かの死神になるんだ。

幸太郎は、感傷的になっていた。

そのとき、背の高い、髪を後ろに流した男性が、幸太郎の机を見てウェイトレスに声をかけ、近寄ってきた。

「こんにちは」

「こんにちは、あの」

「サイトの人、だよね」

「はい」

男性は薄く笑って幸太郎の向かいの席に着いた。カーキのシャツにジャケットを着ている。

「不思議な縁だけど、今日はよろしく」

幸太郎は、なんと答えればいいかを迷って口の中でもごもごとつぶやいた。

「あと20分くらいか…5人だったよね。自己紹介は全員そろってからにしようか」

男性は腕時計を見ていった。大人の男の人がする、ごつくて高い時計だ、と幸太郎は思った。幸太郎は機械のものが好きで、子どもの頃には要らなくなった古い時計を分解して遊んでしまったこともあった。そこでようやく、男性の着ている服もなんとなく高そうな感じがすると気づいた。

本当にこの人に自殺するような問題があるのかな。

男性がウェイトレスに自分のためのコーヒーを頼んだ。

「あ、君注文した?」

「いいえ、まだ」

幸太郎は反射的に答えた。

「コーヒーでいいかな。カフェオレのほうがいい?」

「はい、カフェオレのほうで」

幸太郎のほうはすこしどもるような感じになったことを気にしたが、男性は気にもせずウェイトレスに伝えた。

ウェイトレスが去った後、男性はこつこつと腕時計の竜頭を右手の人差し指でたたきながら困ったように笑った。

「あんまり硬くならないで、かりそめの縁なんだし」

かりそめってなんだろうと思って、幸太郎はまたうつむいた。


寧子は、指定された喫茶店から10mほどのところにあるキオスクでベビーチョコを手に取った。そしてそれをカウンターに置いた。

「あの」「すみません」

同時に販売員に声をかけた女性がいた。寧子は反射的に彼女を概観した。まだ若く、地味だけれどいい化粧品を使っていると見えて、肌もきれいで品のいい化粧をしていた。ゆるいパーマを掛けた肩までの黒のセミロング、着てきるものはコンサバティブな薄いピンクのストライプのブラウスにダークグレーの膝丈ボックススカート。アクセサリーは指輪が左手の薬指にあった。女性なら誰でもしてしまうことだろうから、自分も彼女に見られていることがわかった。

「あ、先にどうぞ」

語尾が消える気の弱そうな話し方で女性が先を譲った。衿子よりも若いくらいだ。いまどきの若い子にしてはなかなかできているではないかと思った。寧子が先に金を払い、会釈してカウンターを離れる。そしてそのまま喫茶店のほうへ歩き出した。約束の時間の15分前。もう誰か着ていたらこのベビーチョコは無駄だ。

この目印を考えた人間は子どもか、幼稚な大人か、ふざけているか。いずれにせよ、こんな深刻な待ち合わせのときに、ろくでもない。でも来てしまった。そう思うと寧子は今日何度目かの血が下がるような感覚におそわれた。

指定の喫茶店ジャガーに着く。誰かいるだろうかとウェイトレス越しに覗き込んで見る。するとそこへ次の客が来た。先ほどの女性だ。手にはむき出しのベビーチョコがあった。

「あ」

女性が声を上げた。

寧子も一瞬呆然と彼女の手の中のベビーチョコを見る。もしかして。

「あの、待ち合わせの方ですか?」

「はい、そうです」

ウェイトレスが案内をしたそうに待っている。女性が彼女に声をかけた。

「待ち合わせなんです、もう3人ほど来るはずですので、奥のほうの席、いいですか」

「はい、でしたらあいている席にどうぞ」

本当はつめて座ってほしいけれど指定しにくそうだな、という顔でウェイトレスは引き下がった。

「じゃあ」

寧子は率先して奥に入っていった。店内は入り口はひとつで奥行きも二股に分かれたりしていないからどこが奥かは一目でわかった。そして、そこに目印を見つけた。30歳くらいの男性と中学生くらいの少年。近寄ってみると、少年は中学の制服にパーカーを羽織った格好だったが、えらくかわいい顔立ちをしていた。なんとなく存在感のある男性の着ている服はタケオキクチだった。なんだかちっとも。

「死ぬ必要あるのかしら」

思わず小さくつぶやく。そしてはっと気づいて後ろを見ると、女性が不思議そうな顔をした。よかった、聞かれていなかった。一緒に死んでくれる仲間なんだから、大事にしなきゃ。


4人が席にそろって、女性2人もコーヒーを注文した。コーヒーがすぐ出された時点で10時5分前だった。なんとなく4人とも話が出てこない。自然気まずい雰囲気になっていた。

「もう一人ですよね」

「ええ、私には5人になるという連絡でした」

「あ、私もです。αという人がこちらのグループを紹介してくれて」

「私はネコという人でした」

男性と年上のほうの女性が話し、若い方の女性と少年は黙っていた。すると、店内の有線が、10時の時報をならした。

「あ、時間…」

女性二人が席についてからすっと黙っていた少年が始めて声を出した。

そのとき、カウンター席で一人の青年が立ち上がって「しまった!」と大き目の声を出した。そして振り返って4人の席を見た。

「あ!」

小さめのカバンと手にはベビーチョコと雑誌を一冊もって足早に席によってくる。机の間ですれ違いそうになったウェイトレスがあいている机の間に避けてから、戸惑ったように青年を見た。

「コーヒーもう一杯お願いします」

青年は明るい声で愛想よく言って、ウェイトレスをパスした。奥に向かい合って少年と男性、少年の横が若い女性と男性の横が年配の女性。青年は通りざまに壁際にあった追加用の丸椅子を持ってきて、通路側の机の辺に座った。

「こんにちは、山崎健悟です。『善き死のために』の方たちですね」

声の大きさは抑えられていたが、あっけらかんとした明るい声だった。黒の短髪、銀縁眼鏡、鮮やかな群青のTシャツ、黒のジーンズ。あまりの屈託のなさに当てられて、4人は反応が遅れた。青年が音を立てて雑誌を机に置いたのを潮に、ようやく男性が反応する。

「そうですが…君が、5人目?」


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