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潔は、終戦時中学に入ったばかりだった。潔の父親は陸軍のエリート軍人で、結構大きな官舎に住んでいたそうだ。しかし、敗戦の1年後、潔の父親は軍の解体の仕事をしていたそうだが、それが一段落したところで戦犯として逮捕された。逮捕自体は覚悟はしていたそうだが、思っていた以上に困窮したそうだ。父は1年の裁判、5年の懲役を経て恩赦で釈放された。しかし、一口に6年といっても、それは潔が中学に行かずに働き、妻である潔の母は倒れてすでに亡く、娘である潔の姉は父の意に染まぬ結婚をしていた期間だった。
潔と父は、二人で潔の祖父が残した古い家に住んでいた。父は軍人だったくせに家の仕事が何もできない人間だった。潔が家の仕事をすべてしたが、父は男が家事をすることに本当は反対だったようだ。しかし、戦犯だった父が希望に沿うような仕事をなかなか見つけられず、当然再婚も、家政婦を雇うこともできなかった。潔の父は非常に理知的でドイツに留学経験もある人だったが、次第に気難しさがはなはだしくなっていった。そして40代にしてガンになった。当時はガンは不治の病であり潔の父も苦しんで死んだそうだ。
ここまでは、潔に聞いた。そして、その後については組織からの情報だ。
潔は、父の看病のため、ほとんどすべての財産を失った。潔は、父に鍛えられていたため、父の生前から商店の店員の傍ら、10代で市場の用心棒のような仕事をしていたそうだ。そして、父の弔問に訪れた元軍人に見初められ、組織に入った。その元軍人というのが潔と崇の共通の師匠である章だ。当時は関西系の暴力団と関東系の暴力団の抗争が激しく、そのとばっちりをくうことがないよう政治家をガードをしたり、両組織の勢力均衡のため、形勢がいいほうの暴力団のキーマンを殺したりすることが多かったそうだ。特にまだ若かった潔は、父親譲りの物堅そうな容姿と確実な仕事のために、そういった政治的な仕事を回されていた。当時は組織も安定した人材の確保が難しく、それでいて仕事は多かったので暗殺者の死亡事案が多かったという。それを潔は生き延びたのだから、腕がよかったのだろう。
そして潔は学生運動の時代に弟子をとり始めた。それでも暗殺者としての仕事は続けた。潔の弟子は、もうほとんど残っていないそうだ。それでも潔は仕事をやめなかった。まだ死なないから、死んだらやめる、といっていたそうだ。