くるしゅうない、近う寄れ。とか、
くるしゅうない、面をあげぃ。とかって、言い回しありますよね。

ずぅっと、『苦しゅうない』だと思っていたのですが、
『来る衆無い』らしいですよ。

確かに、いきなり、苦しゅうないぞ、と言われてもねぇ。
意味わかんないですよねー。

来る衆無い、ってことは、誰も傍にいないよ、って意味みたいです。
想像してみると、1対1のシチュエーションの時だよなーかお

未だに、苦しゅうない派が大多数ですが、
どっちが正しいのだろう。

真相が気になったので、歴史を紐解く感じで調べてみた。(私の推測です)

大名っぽい言い回しなので、
まずは、戦国時代に『苦しい』っていう表現があったかどうか、なのだが。
苦しいっていう漢字の成り立ちは、茨の冠をかぶったキリストが字架の上で、が渇くほど苦しいと言ったことに由来しているようです。
(ついでに、字架の上にっているキリストは、辛い)
ただし、一方で『苦』という漢字自体の成り立ちは、BC1500年頃ですので、苦しいということ自体が神に近しい意味を持つのか、私には真偽のほどは分かりませんが、何かありそうです。

次に、読み方は、crucifixが語源のようです。
訳しますと、十字架像です。磔刑像ですね。
漢字の由来からしてキリストに関係がありそうです。
戦国時代に英語って輸入されてましたっけ?ポルトガル語では???

「苦しゅうない」だと仮定したら、
キリスト教が入ってきた時代より後、かつキリシタン大名でなければ言わないのでは?と推測します。
黒田如水か、高山右近か、大村純忠か、有馬晴信か、蒲生氏郷か、小西行長か、大友宗麟か。
好色家として知られる大友宗麟が有力かえっ
くるしゅうないぞ、近う寄れーぃドキドキ
誰も来やしねーよー(志村けんさんのマネドンッ

誰か、歴史詳しい人教えてー。

でもなんか矛盾してきたので、私は『来る衆無い』に1票。