何気なくある人の書評を見て、ニュースでも取り上げられていた気もする話
それは、ベンチにひじ掛けや仕切りをつけて(線を引いて)、使う人の選択肢を減らすと言えばいいのかなんなのか難しいが
「排除ベンチ」という話 正直、ひじ掛けがあるベンチを見た記憶がない 最近行った公園や広場のベンチはひじ掛けや線引き
されているものは見たことがないし、むしろ経年劣化でボロボロになっていて整備されているのか分からない (一応されているのかも知れないが)
外出していると、普通にただ座っている人もいれば、寝っ転がっている人もいたりする
自分がもし、線引きされたベンチを見た時、ただのベンチがそこにあると感じるだろう しかし、何か違和感を感じる
それも精々「座りづらいベンチだな」と
この「排除ベンチ」という言葉を知らなければ、なにかついているベンチを、人の選択を「排除している」ベンチとは
見れなかったと思う 難しい話な気がするし、ただの真っ平らなベンチが心地よいというのも感じる
ベンチを”座るもの”としたなら、線引きされていても違和感がない気がするが、それはベンチを座るためのものとして認識させる証になると感じる だが、座り方は色々、その時にもよるだろう ベンチをただの”ベンチ”としたなら、色々な使い方がある 色々な使い方が出来た方が嬉しいと、個人的には思う
公共性をとるなら、後者の方があっている気がするが、前者もあっている気がしないでもない でもまぁ、後者が一番良いと
思う
ある事象で、統制を図る者は無意識に人々に働き掛けてある選択を促す 違和感に反応する少しの人が気付き、疑問に思う それが全体か個人かどちらともとれるか 行動次第で改善するか、変わらないか、悪化するか
記事を調べるとある県では、市民が市議に、市議が県の所課に働きがけて仕切りを取り払ったとある ある記事では、排除ベンチが増加しているともある 私は、コロナ禍のあの魔訶不思議なソーシャルディスタンスに似ているなと思う 人と人が距離をとる(強制的且つ無意識に訴えかけて)
上手くまとまらないが、広く深く様々な人の視点、立場にならないと現代は大変だと思った次第だ そして直観も大事だとも思った