昨日子どものことを書いていてタイムリーに今日読んだ本に興味深いことが書いてあった。
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幼稚園育ちよりも保育園育ちの方が、現代の仕事では活躍するというデータがある。
幼稚園は「次になにやるのか」が縁によってきめられていて、それをこなしていく。
一方、保育園はその日の予定は何も決まっていなくて、子どもが自分で決めなくてはいけない。
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現代では自分でやりたいことを見つけないといけないため、後者の方が経験値が高いということだ。
自分の子どもの頃をふと思い出した。
私は幼稚園育ちで保育園には行っていなくて、確かにやることは毎日決まっていた。
しかし、私はその頃から天邪鬼というか枠にはめられるのを嫌っていた気がする。
皆で揃えて歌う合唱コンクールの練習の時には勝手にかくれんぼしだしたり、
(しかも先生のスカートの中にかくれるというド変態ぶり。)
休み時間に隣の民家になっていた柿が気になってフェンスを乗り越えて脱走したりやりたいようにやっていた。
ある日、いつもより少し幼稚園バスが遅れているというだけで自分が早く帰りたいからと言って、
「歩いて帰ろうぜ!」
と友達2人を巻き込み、大人の足でも30分以上かかる自宅まで徒歩で勝手に帰りだしたことがある。
途中で子どもがいないと聞きつけた友達の親が自家用車で探し回り、
歩道のない狭い車道の途中で見つけてくれて乗せてもらって帰った。
友達はしこたま怒られたようで、私のおかんは「大したもんだ」とかなんか言っていた気がする。
その日は姉の誕生日会の日で、姉には心配かけたことをしこたま怒られたが。
今の時代だったらとんでもない子どもだが、トータルで思い出すと、
むちゃくちゃ怒られたという記憶はない。
やりたいことを尊重してくれる親に幼稚園だったんだろう。
(都合の良すぎる解釈である)
しかしもっと厳しく枠にはめようとする小学校に入ると窮屈に感じた。
特に算数の文章題とかで、過程の計算式や考え方に点をつけるのが納得いかなかった。
正解がある問題を与えられ、それになぞって解いていかないといけない教育システムである。
なぜか独特の考え方で答えを正解を導きだすことが多かった私は、
説明しろと言われても感覚でやっていることで説明ができず、
答えが合っていても過程式の空欄で減点されることがとても多く、
型にはまった考え方をしないといけない算数・数学が嫌いになった。
対して、国語、特に漢字については、
おかんが自称漢字博士だとか名乗っており、
そこになぜか対抗心をむきだして勝負していたゲーム感覚があり、
その学年で習わない漢字を低学年から好きなように書いていたのでとても好きになった。
今の教育ではその学年で習っていない漢字は書いてはいけないようで、
つくづく伸びる可能性をつぶしてみんなを同じ形にしようとしているところに違和感がある。
ただ、教育システムという大きな問題に抗っていても仕方ないので、
せめて家庭ではやりたい事を自分で考えさせ、自分で決めさせ、そのサポート役に徹したいと思う。
長男が今までやっていた空手をやめ、自分が好きなプログラミング教室に通うという素晴らしい決断した。
好きなことが見つからないという人や子ども達は多いと思う。
小さなことでも「やってみたい」とふと感じたことに集中して気付いてあげて、
それを慎重に汲み上げて育てていくことが大事ではないだろうか。
気付くためには、自分だったり、人の様子や表情を観察して、紙に書き出すことで認識しやすい。
佐渡島さんのこの本には他にも多くの学びを得たので、
また別の項目についても書いていこうと思う。
