イシュの13年spiralに突入し、色んなことがどんどん明らかにみえだしてきて。
なんだか色んなことが複雑に多様にみえていたのだけど、、、突き詰めていったら要するにめっちゃシンプルなんぢゃん、っと。
あんまりにもシンプルすぎて「これ何かの間違いなのではないだろうか」とめっちゃ疑ってみていたのだけど、、、
明らかみつめているので、
やはり《わたしにとって》は間違いではなく真実なんだよなーって。
信頼も確信もあるのだけど、
それでも怖がるわたしはいて。
イシュの13年spiralに突入したんだもん、もう怖がったりしないだろうとおもってたから未だに「怖がるわたし」がまだいることに対してなんだかガッカリした。
それでも、、、
怖がるわたしを認めてるし許せてるし肯定はできてる。そして自覚も認識もしてる。
ガッカリはしてるけど、
もう無視はしていない。
ガッカリするわたしだって、
怖がるわたしだって、
どんなわたしだってまるごと認め許し肯定できてる。
求められてる。
強烈猛烈に求められてる。
必要とされてる。
猛烈強烈に必要とされてる。
そのことを、
認められきれないでいたんす。
わたしがそんなにモテるわけないだろ、と😆
そんなの妄想でしかないよ、と。
都合のいい妄想。
自分都合の妄想。
しかし、、、
もし、
本当に、
強烈猛烈に求められていたとしたら。
もし、
本当に、
強烈猛烈に必要とされていたとしたら。
たとえそうはみえなくても。
全身全霊で求められていたとしたら。
全身全霊で必要とされていたとしたら。
わたしはその可能性を、
わたしはその在り方を、
もう二度と無視したくない。
そうおもえたんすよね。
思い違い、
考え違い、
たとえそうだったとしてもいいや、って。
みっともない、かっこ悪い、恥ずかしいオトナ、そうおもわれてもいいや、って。
それよりも、、、
本当に求められていたのにそれを気のせいとしてしまうことの方がもうわたしは嫌なんだ、とおもえて。
本当に必要とされていたのにそれを気のせいとしてしまうのとの方がもうわたしは嫌なんだ、とおもえて。
だから、
わたしはもう「勘違いヤロウ」でいいや、って。
「妄想ヤロウ」でいいやって。
「サイコ・Psycho」でいいや、って(笑)
過去のわたしが切望していた在り方。
それが「未来のわたし」だったとしたら。
未来のわたしを強烈猛烈に求めるために、過去わたしの体験があったとしたら。
あの未来のわたしを存在させたくて、
過去のわたしの体験があったとしたら。
時間ってほんとカレンダーなんかじゃないよね。
もう、
わたしは何一つ共有できないのかもしれない。独自視点。独自見解。独自解釈。
わたしの世界観。わたしの価値観。
もう誰とも共有共感できないのかもしれない。
それでも。
それでも。
そうだったとしても。
もう、
わたしは自分自神を、
わたしの世界を、
わたしの神話を、
わたしの価値を、
わたしが体験することを諦められないから。
覚悟を決める。
肚をくくる。
そして、
踏みだし続ける。
孤独で在る。独り在る。
全身全霊かけて孤独で在り続ける。
だから、
全力で寄り添われる。
だから、
全力で支えられる。
全身全霊かけて、
全責任を負って、
何もかも全て賭けて孤独で在るもののことを、世(ヨ・4)は支えず(囲わず)にはいられない。
わたしはそのことを思い出していて。
だから、
わたしはやるんだろね。
これはもう仕方がないことだから。
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