理解したい、も
理解されたい、も
乖離の方向だよね。

「すでに理解できてる。すでに知りえている。」が前提ならば、ただ思い出す・ただ取り戻す、それでいいのだもの。

表面の位置で捉えると理解できていないようにみえるし、理解できていないようにおもえてもしまう。

理解されていないようにみえるし、
理解されていないようにおもえてもしまう。

でも、、、

よくよくみつめてみると、
そんなことは《ありえない》のよね。

そんなことはありえなくて。

その《ありえないこと》の方を常識にしていた。
それが地球人。
それが現代人。

常識を使うとき、
その裏側にある非常識も丁寧に認識する。

常識・非常識、
だってどちらも使える在り方の方が面白いから。

面(メン)で認識するのなら、
表裏で捉えなきゃつまんない。
表裏を使えなきゃつまんない。

面にはかならず表裏がある。
常識という面の裏にはかならず非常識という面がある。

そしてそれは、
とある意識位置からみたらひとつの球(立体)にみえる。常識・非常識なんてのはひとつの球の陰陽でしかないってことがわかる。

こんなのは誰もが知ってる至極当たり前のことなのだけど、その自覚・認識はあまりされてないよね、と。

モノゴトを球として捉えてる目線は誰もが持っているし使ってもいるけど、その自覚・認識はあまりされてない、とゆーか。

二極、二元性を楽しむには、
二極、二元性で遊ぶには、
二極、二元性を超越してる目線(意識位置)が必要。

こんなことも、
至極当たり前のことで。

こーゆー至極当たり前のことがみえにくくなっているのが現代人の捉え方だよなーって。

継承してきた情報を、
バンバン捨てていけてる在り方。
オリジナルの世界観・価値観の方を丁寧に扱える在り方。

そーゆー在り方でないと、
楽しめない時代に突入してる。
そんな気が強くしていて。

愛することは信じること。
愛=強烈猛烈な関心興味。
興味対象を絶対的に信頼してしまう。
興味対象を絶対的に確信してしまう。

わたしはわたしを愛してる。
わたしは何もかも全てを愛してる。

わたしはわたしを絶対的に信頼してる。
わたしはなにもかも全ては常に絶対的に完全完璧なのだと確信している。

わたしはわたしに愛されてる。
わたしは何もかも全てに愛されてる。

そんな在り方でみつめているこの世は、わたしには「我が世」にみえていて。

ココはわたしの国(クニ)。
ココはわたしの世界(セカイ)。
国も世界も自分事。

わたしが、
わたしの国やわたしの世界やわたしの身体のことを掌握できていないはずがないぢゃない。

わたしが、
わたしの国やわたしの世界やわたしの身体のことを癒していないはずがないぢゃない。

知り、癒し、そして使いこなす。
遂行するチカラ。

赤い城の第3ウェイブスペルである「マニクのウェイブスペル(波動魔法期)」をわたしは存分に体験する。

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