で、

わたしは今日まだ残ってた罪悪感に気がつき、それを凝視しました。


やらなきゃ!

怒られる!!罰せられる!


またコレですよ…。ウンザリ。



聞く耳持たないですからね、

この状況だと。


でもま、

腑に落としきることができました。


わたしは苦行しにきてるんじゃなくて、

しあわせを楽しみにきてるんだから。



しあわせを楽しむにはやりたいことだけやる環境が必要で。


それが先日表明した〝専業ライフワーク〟という在り方のわたし。


わたしはこれをやりにきてる。

本当に出来るかどーかは知りませんが。



ネガティヴは愛ですし、

罪悪感も悪者じゃありません。


でも、

不要な罪悪感は昇華していっていい時代なんでしょうね。


罪と罰も悪も概念の発明であって、

〝それそのもの〟は無いのですし。


表面で罪罰悪と捉えられているものも、

裏面から捉えるとただのツールという認識です。



お金もただのツール。

びっくりするほどただのツール。


お金は便利すぎて、

それゆえに〝お金さえあれば何とかなる〟と捉えてしまいがちで。


そーならことで〝みえにくくなる〟んですね。


本当に気づく必要がある部分が。


それが〝お金の問題は根深い〟と言わせる意味かなとも。



みえにくくなる。

みつけにくくなる。


わたしもやっぱりこのお金でみえにくくなってました。


お金さえあれば何とかなる!

やっぱりそう捉えてました。


だからお金をなんとかしよーとしてました。


おーい!お金を与えてくれよ!サクッとさ!そーすりゃ何もかもがさっさと片付くんだから!と表明もしました(笑)



それでも、繰り返されました。

そのたびなんでだろ?わたしの何が悪いんだろか?など思考してみたり。


この思考回路は問題ですね。

いまならよくわかります。


別に誰も悪くなんかない。

ただ気がついてないだけ。


なんだ気がつかないのか?


それそのものをまるごとゴックンしないから。


まるごとゴックンすれば〝わたし全体〟で捉えられる。

わたし全体で仕事ができる。


それそのものはとってもシンプルなノリなんですが、

それがなかなか気づけなかったりで。


気づいてさえしまえば、

毎度びっくりするほど〝当たり前〟のこと。


おもいだすからですね。


ネガティヴなリアルはおもいだすためのもの。


そう捉えるようになれたら、

どんどん切り替えがラクになれました。



どんなにネガティヴなリアルでも、

それは愛でしかないようですし、

それならばと、

まるごとゴックンしてみる。


ぺっって吐き出したっていいんですが、

わたしの場合はそうしたことはありませんでした。


殺人も窃盗も強姦も暴行も病もこの世にあるありとあらゆるネガティヴリアル。


どんなに不条理におもえても、

どんなに怒りが湧きあがっても、

こんなこと絶対許せない!とおもえても、


わたしはそうおもってるわたしに気がつけたらば、


おとなしく〝まるごとゴックン〟と飲みこみます。




わたし全体で認知認容受容許容し、

その在り方を許しきる。


あって当たり前なのだと。

あって当たり前だからイマココにソレが現れているのだと。


そう認知認容することで、

湧きあがる想いがある。

湧きあがる感情がある。

湧きあがる概念がある。

湧きあがる捉え方がある。


こーいったものが、

全体的なわたしという在り方からこのわたしの中に注がれる。


これは、ウアジャトの目の世界だけに居ては気づけないもの。



ウアジャトの目が悪いわけじゃなく、


ウアジャトの目しか使ってないままだと〝意識進化、霊性進化を欲してる在り方のわたし〟はネガティヴリアル注ぎ続けるしかやり道がないよーですぜ、ってイメージのお話。



ほんとーにまとまらないな…毎回。