次の時代は光と闇の統合。
そんなワードがスピ界隈で尤もらしく垂れ流されていて。
そこにずーっと違和感があったんです。
光と闇の統合。
確かにそうとも受けとれるけど…
たぶん本質はそこじゃない…
そんな感覚がずっとあって。
でもその意味はまだ腑に落ちてなくて。
それとともに、
〝光の裏側は闇〟〝闇は光を孕んでる〟
と捉えてたノリ。
これも確かにそうなんだけど全貌は表現できてないよなぁとおもえだし。
うーん。
わたしの霊性・意識は日々進化成長していますねぇ。顕在意識がそれをアップデートする速度がちっとも追いつかない😓
だから、
顕在意識の判断は常に疑うことにしました。その方がラク。
だってアップデートが全然追いつけない。アップデートすることにエネルギー使うより顕在意識の判断をいちいち疑う方がラクでした。
顕在意識は意識全体の中の5%でしかないんだし、そこに95%情報を詰め込もうとする方が物理的におかしい(笑)
5%の領域に95%を詰め込もうなんてなんでそんな発想になったんやら。
やはり顕在意識の判断は色々おかしい。
そこが豊かさであり愛おしくもあるのだけれどそれでもバカはバカ。バカであることを・こーゆーバカさが顕在意識のわたしにはあるのだということを受け容れ認めきり許しきる。
そーしたら、
顕在意識の判断は疑うことが前提な在り方になってしまい、そしてそれがすごくラクちんで。
抽象度があがるとラクになる。
13の月の暦のウェイブスペルの一周目より二周目の方がラクに感じるのと同じノリなのかしらん?
光と闇の統合。
やっとこの捉え方に対しての違和感の素が腑に落ちました。
統合という表現、統合という捉え方、
ここにひっかかってたんですねわたし。
いまのわたしがこのノリを表現するならこうなんです。
【光の反転。闇の反転】
反転することで〝本質〟が表面になります。
光の本質。闇の本質。
そしてその本質とは、
光のものも闇のものも同じものです。
本質が光で現れたり闇で現れたりしている。
光の裏側が闇なのではなく、
闇の裏側が光なのではなく、
光と闇を混ぜこぜにするのではなく、
本質をひっくり返した。
今度はそれをひっくり返す。
裏側で育まれていた本質が現れる。
ひっくり返る前よりも豊かにふっくら福々に進化成長した本質が現れる。
何回も何回も死んでは現れ豊かなその体験経験で進化成長させてきた本質。
個として尽力してきた何もかも全ては、個の裏側の〝本質そのもの〟の進化成長に繋がっていたわけで。
そしていまは時代の変わり目。
本質へと反転しにココにきてる。
わたしはネガティヴ(闇)属性。
個のわたしとしてここまで尽力してきて、いまでは闇のネガティヴ面も闇のポジティブ面も受け容れきり認めきり許しきりました。
自分の闇を無視し、光であろうとしていた時は常に混乱していました。そして自分が大嫌いでした。
至極当たり前のことなんですよね。
闇そのものが〝闇〟を無視してマトモでいられるわけがない。
ココに存在してないことになるんだから。
顕在意識ってほんとこーゆーこと平気でしちゃえるんですよね('A`)
だからこそ進化成長できるわけなんですが。ほんとーにすごいおバカさ。
で、
女性性は闇なんですよね。
女性性を体現している肉体も闇なんです。
キラキラ系スピが悪いわけじゃないんです。魂レベルでは光属性ってことが多々あるとおもえていて。
男性が光をアピールしてるのは気にならないんです。男性が光で在りましょー!ってやっててもなんとも思わないんです。
ただそれが女性の場合…
わたしにはそこにズレを感じてしまうんです。
自分自神の闇を受容認容許容しきった在り方で〝光でありましょー!〟と発信してるのならズレないんです。
女性性を体現している在り方。
たとえ魂が光属性でも、この世ではやはり闇属性なんだろな、とおもえていて。
ですが、
闇属性の自覚を持っている女性性の体現者ってすごく稀な気がしていて。
魂レベルでは光属性でも、この世で女性性を体現しているならば闇の所属。だから現代人の女性性の体現者はすごく混乱してしまうんだろなとおもえました。
現代は男性社会。
次の時代は本質の時代。
いまの時代に女性性を体現している在り方のヒトはすっごい覚悟をもってる魂だよなぁとおもえてしまいます。
だからすっごい覚悟を体験するヒトなんでしょうね。
わたしは宇宙人とかにはあまり興味が向かないんですが13の月の暦の開発者ホゼ博士のことを理解したくて少し調べてみました。
そこではじめてしったのですが、宇宙人は人種ごとにポジティブ系、ネガティヴ系というのがあるんだそーで。男女じゃないんですね。
たとえ魂レベルではポジティブ系でも女性性の肉体を携えている時点でわたしはネガティヴ属性なんですよねぇ。
わたしの場合は魂レベルでもネガティヴ属性だろなとはおもえていますが(笑)
自分自身も含め、この世で女性性を体現しにきている在り方の魂の覚悟の凄まじさを実感したことでなんか気が抜けちゃいました。脱力。
ああ、大丈夫なんだ。
顕在意識のわたし、個のわたしはその魂の器としてその魂の凄まじい覚悟の有様を堪能してればいいんだ。
そんな風におもえちゃって力がぬけちゃったんですよねぇ。
個のわたし、このわたし、顕在意識のわたし、この肉体、これは〝契約の聖櫃〟なんだから。
なーんだ、と。
【女性性の解放】という捉え方のベースにあるのがこの辺りのことなんだろなぁと。この凄まじい覚悟。
でもちっともシリアスじゃなくて。
ちっとも悲観するものでもなくて。
ただただ凄まじい。
そして、
よくよくみてみるとその奥にユーモラスな雰囲気を醸し出してる。やはり闇にはユーモラスがつきもの。
女性性の解放はシリアスさでは対応できないんですよね。
ユーモラス。ユーモア。
たぶんこれしか通じない。
体感してみてつくづくそうおもいました。
ま、魔の力だから当然なんですが。
魔というワードも誤解が多いですからその辺がちょっと厄介かしらん。
創造性も闇の力。
だからシリアスは通じない。
ユーモラス、ユーモア、素直、無邪気、遊び心。
闇や魔の力を使うにはこーいったものにしか反応しない。
腑に落ちてしまえば至極当然のことなんですがこれがすっごくわかりづらかった('A`)
やっとこの辺りが昇華できてすっごく嬉しいのです😆