恐怖、恐れを立体化できるかどうかなんだろな、とおもえました。


立体化することで「奥行き」が現れる。そしてそこが本体であり本質で。


ヒトガミの本質はハートの奥行。その奥行きには女王のわたしが鎮座してわたしの到着を待っていた。


では、恐怖や恐れの本質は?そこを観ようとするのかしないのか。立体化した恐怖や恐れの奥行きでわたしの到着を待っているモノはなんなのか?


テロや争いを恐れる。それを嫌う。ではなぜわたしは恐れてしまうのか?なぜ嫌ってしまうのか?


いまのわたしはテロや争いは別に恐ろしくはなくて。悪ともおもわなくて。病や死も恐ろしくはなくて。地獄も恐ろしくはなくて。


その奥行き部分を知ったから。テロや争い、死や病や地獄にすら愛と美と調和を見いだしてしまうようになってしまったからなんだろなぁと。


やっぱりわたしはキチガイなのかなー。


そんなときアニメ版攻殻機動隊の荒巻大輔のセリフが湧くのです。「我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。 有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ」

そしてわたしはホッとできる。


わたしがわたしをフル発揮する。それが極悪人でキチガイだったとしてもそれは全体と調和する。それを実感体感してしまってる以上、自分自神に嘘をつく気にはもうなれなくて。そしてそれでいいんだといまはおもえてる。


「社会的にはキチガイで極悪人なわたしをこのうえなく愛してるわたし」を実感体感してる。