変容。

トランスフォーメーション。


青虫が蛹になり、

その蛹の中で青虫だった自分をドロドロに解かし、蛹を破って飛び立つ姿へと再構成する。


青虫は蛹になるとき、

どんな感じがしてんだろ?


蛹の中で、

これまでの自分の姿形が解けてゆくとき、どんなおもいでいるんだろ?


再構成された姿をどんなおもいで受け容れるんだろ?

どんなおもいで蛹をやぶるんだろ?

どんなおもいで飛び立つんだろ?


はぁ…。



1から6までの人生と、

7から12までの人生は別物です。


1から6までの人生は、

分離の世界の中で

〝己は何者か〟〝ココがドコなのか〟〝なにしにココにいるのか〟を思い出すための道(人生)なんですね。


6の領域に到達し、

これまでの謎や疑問が解けました。


ここに至るまでの全ての体験は、次の7から12の道(人生)のために必要だったのだということが腑に落ちきりました。


その7から12の道は〝パートナーシップの世界〟

顕在意識と無意識の乖離の解消。

5%と95%のわたしとでのパートナーシップ。



6の領域に到達すると気がつく。


わたしにはかけがえのないパートナーがいた。

わたしは孤独じゃなかった。

ひとりぼっちじゃなかった。

わたし達は常に一緒だった。


わたしは、わたしの正体をしる。

〝100%のわたし〟という在り方に気づく。


7の領域のわたし。

8の領域のわたし。

9の領域のわたし。

10の領域のわたし。

11の領域のわたし。

12の領域のわたし。


これらのわたしと、

ココにいるわたしがみつめあう。


プラスもマイナスもないゼロポイントであるイマココで、わたし達は溶けあう。

これまでの人生の何もかも全てが〝わたし〟であったことを実感する。


わたし達はいつでもココにいた。




さて、

新章がはじまりました。


終わるとはおもえなかったあの第1章が、ちゃんと終わったということに感動しています(笑)


変わりたいとおもいながらも、

いつまでも続くんだとおもってた。

抜けられないんだとおもってた。


でも、

そんな捉え方がいつまでもわたしを縛りつけてるんだってことに気がついたら、

幻を握りしめてたのがわたしだったことを実感するリアルが注がれた。


すでに終わってる。

すでに変わってる。

すでに出来ている。

すでに実ってる。


意識であるわたしの能力は、

意識が自分であることをしってるわたしに教えを請えばいい。


もう他者に教えを請う必要がない。

 何もかも全てがわたしであり、

そのわたしは、イマココわたしを全力で支援したがってる。


そういことが当たり前の世界観に、

すでにわたしは到達していることに気づいた。


このわたしの〝果て〟はどこなんだろう?

わたしは果てのわたしとの同調を試みる。


ミナカヌシのさらに奥、

やっと気がついたかと笑ってる。


そーか。

そーだったか。


やっぱりわたしは強欲で、自分でも頭おかしいんじゃないかと何度もおもったけど、この強欲さは至極当たり前のことだったんだ。


この野望を満たすには、

この広大なわたしの能力の全てを使いきりたい!なんてでっかいことおもえるヤツでないとだよねぇ。


ミナカヌシのさらに奥の奥のわたし。

そんなわたしまで使いこなしきろうとするわたし。

クレイジー。


でも、

そんな欲をこのわたしに湧かせてるのはそのわたし達。

このわたし以外の全てのわたしは、

このわたしに自分の能力を使いきってもらいたいと欲してる。


このわたしから湧くものは、

そういう類のものなのだ。


わたしは、

わたしから湧きあがる欲の全てを満たしきる。


わたしはそう決めてしまっている。


だから、

ありとあらゆるわたしが、

己の欲を満たしたくてわたしから湧きあがってくる。


このわたしとは、

そういうわたし。


時代の変わり目には、

とてつもなく大きな器を持って現れるヤツがでる。

どーやらわたしもそれのよーだ。

その自覚も実感も、いまはある。