今朝、

移動中に気づきました。


(わたしの場合)

人生活動のメインは生活じゃなかったんだ!

わたしのメインは〝創造〟だったのよっ!!


生活にフォーカスして足りてる足りてないしてなくてもいいのよ、それはわたしの楽しみ・歓びじゃないわ!


メインは創造!

生活はその副産物!


メインの仕事をきちんとすることで

生活は勝手にいいように廻るんだ。



という、

なかなか傲慢気味な気づき(笑)



そしてその気づきの後、

これまでの不可解なリアルの意味にも気づけ、

なら仕方ないやね。

てか、むしろその通りだ。

と納得できました。



思い起こせば、

確かにわたしは生活を成り立たせることに対しあまり興味はありませんでした。


そっちのノリの方が

わたしの本質資質でした(笑)




そして創造についても、

思っていたのと全然違うレベルでした。


制限が嫌いだとおもいながらも

制限の中で気分のいいものを選択しようとしていました。

それが〝選択の自由〝だと捉えてました。


違いますね。

これは制限です。

選択の自由は不自由状態です。


なんてことない、

わたしは魔法にかかっていたってだけです。



創造力をおもいだすということは、

〝いまわたしは魔法にかかっている〟ことに気がつけたことなんですねぇ。



魔法にかかっていることが悪ではありません。

そもそも悪などありません。



魔法にかかっているわたしがいる。

では、わたしに魔法をかけているのは誰?



〝分離意識の極み〟を目指してる人達。

マイ権力とマイ正義とマイ秩序が大好き。


頭がよくて、

言葉巧みに表現するのが上手。


真の自由を、

選択の自由という制限へとすり替えた続けてきた人達。


真の自由を忘れてしまう魔法をかけてる。



分離の極みへ突き進む流れと、

反転して統合・融合の方向に進む流れとで別れる位置。


そういう場に、

望んでわたしは現れてた。


わたしは統合・融合の方向に進む。


この方向は、己を知り魂レベルの本領を発揮していく方向。

みえないわたしとの合流・統合を果たして100%のわたしを発揮していく道。



分離の極みへ突き進む流れにも行き着く先がある。

そこを目指してる人達はいるし、いていい。


関係性という領域の中で、

制限領域と解放領域がある。


関係性を磨く、高める方向が信頼・信用=解放・フリー・愛の凸


関係性を不活性化する方向が不信・警戒=制限・縛り、拘束・愛の凹



善悪、損得じゃなくて、


活性を高めゆく方向か、

活性を鈍らせていく方向かの違い。


関係性の構築や関係性を磨くことを怠けることが制限を呼び寄せ、魔法にかかろうとしてしまうということ。


悪いやつがいるわけではなく、

そもそも関係性の発展進展をサボりだしたのが原因ってだけなんですねぇ。


悪いやつなんていない。

悪魔的と表現されるものは、

サボり、怠惰に対して惹きつけられるもの。


ネガティヴの極み。


そして、

ポジティブの極みも在る。


二元性は陰陽。

その間に発生した、

関係性という場のわたし達。

関係性=意識


意識の(関係性の)活性化が魂的お仕事。


意識の進展発展をサボると制限枠に収められ、制限枠ごと移動。

それが〝繰り返し〟〝輪廻〟




意識次元の上昇。

活性化のお仕事に尽力することで、

意識次元は上昇することになる。


4次元意識は己との関係性を知ろうとすることで関係性を構築することになる。


3次元意識は他者とは何かという関係性を知ろうとすることで関係性を構築することになる。


高めるか、サボるか。


現状維持はない。

現状維持だとサボるに該当しちゃうのよね。


自分事としてみつめ尽力して高めるか、

誰かや何かのせいにしてサボるか、

現状に甘んじて動こうとしないか=サボり



わたしはやっと、

〝高めようとして〟当たり前なんだということを思い出しましたね。


必死でやるやつカッコわるい。


そんな捉え方はどこで仕込んだのか。


必死でやりたがってるわたしがいるし、

そんなわたしがいて当たり前だし、

そんなわたしがわたしは大好きなことを思い出しました。