わたしの未来の方向は真っ暗闇です。


その闇を凝視すると、

闇自体が蠢いていることがわかります。


その蠢いてる闇を眺めていると、

未来を見通すことができません。

未来を想定することができません。


見通そうという気にも、

想定しようという気にも、

なんだかちっともなれないのです。


過去の経験や社会から得た情報をもとに未来を類推すると、

ネガティヴな未来しかでてきません。




以前なら、

ネガティヴな未来を類推しては、この未来にならないようになんとかしなくてはと行動してました。


いまはそれはしません。



類推は類推でしかなく、

その根拠は過去の経験であり、社会的な捉え方での情報ですし。


いまのわたしには興味のないデータをもとに組み立てられた予測です。




リアルに振り回される生き方ではなく、

リアルを動かす生き方へのチェンジ。


それは、

リアルとはなにか?

という問いが齎した在り方。


リアルはわたしが創ってる。


この概念を、

認めきり許容しきったわたし。


自分で創り出したリアルに翻弄されてる在り方に飽き飽きしていた。



どーしたら

この在り方をやめられるのか?


わたしの周りでリアルに翻弄されてる在り方から抜けてるようにみえる者がいない。

=参考にはならない(笑)



色んな人が色々書物では言っていたが、

わたし的にピンとくるものがない。

(本質だよなぁとはおもえても)



わたしはどーにかしてココを抜け出たい。

これが誰かの何かの繰り返しであることだけは知覚してる。



抜け出たい。

そのための教えを請いたい。

方法を知りたい。



外側の情報を丸ごと飲み込んでみても、いつも何かが足りない。

大事な部分が足りない。

肝心な部分が足りない。


わざと?

隠してる?

外側への不信感。



そうじゃなかった。

それはわたしの内側にあるものだから。

内側にフォーカスしなくてはならないのに外側ばかりみていたから。


内側向けば?という誘いを

断り続けていたから。


自分自身を信用できてなかったから。



外側に望みを持つことを諦めきらせるためのリアルが注がれる。


誰かに、何かに助けてもらおうとすることを諦めきらせるリアルが注がれ続ける。


わたしにはそういうリアルが注がれた。


自分でなんとかしようとするのを諦めさせるためのリアルが注がれた。


わたしのパートナーシップを活性化しようとフル発揮するために。


わたしの強烈な依存心を解放するために。


わたしは5%のわたしであることを認めきり許容しきり、

95%のわたしが在ることを認めきり許容しきる必要があった。


わたしは

100%のわたしでの生活をしにきている。


わたしの強烈な依存心は、

95%のわたしに対してのものだった。


その強烈な依存心を

他者に向けては満たされない。


むしろ潰してしまう。

わたしはどこかでそれを知覚してた。

だから封印してきた。


それでも漏れでてしまうソレは

家族が受けとめてた。


だから

家族は潰れてしまう。



わたしはわたしという在り方に責任を持ちたかった。


どーしたらいいのか?


その答えの重要な部分の全ては

わたしの中にあった。



潰れてしまう。

潰してしまう。


家族という業。


わたしにとって1番深い業は家族だった。


わたしが家族に逃げる。

家族はわたしを受け容れる。

共に潰れる(笑)



わたしは家族に受け容れられてることをなぜか認めていなかった。


愛されていない、

迷惑がられてる、

そんな風に捉えてる部分がなぜかあった。


そんなことないのに。

でもそーおもってるわたしが常にいた。


ちゃんと受け容れられてる。

わたしのためならなんでもしてやりたいという想いがあることもいまは理解できてる。


わたしの中では

古のわたしの想いも湧きあがる。


今生の経験体験だけでなく、

古のわたしの経験体験からの想いが湧きあがることがある。


どーやら、

家族への業に古のわたしの想いが反応してたようで。


そういうことがわかってからは、湧きあがるものに対しての捉え方が変わりラクになれた。


こういうことが、

わたしとは何か?ということ。


誰もがオリジナルな在り方。



わたしは逃げていたら反作用しか現れない。

わたしには逃げ腰は相応しくない。


そういうことがわかってきた。

腑に落ちてきた。



家族に可愛がられ大事にかれ甘やかされてる誰かをみて、

わたしもそうありたいと望んだ。



その望みは

わたしの本心本音の望みはではなかった。



お金持ちになって家族を幸せにしてやりたい。


この望みもわたしの本心本音の望みではなかった。



誰かの真似をしたがったわたし。

誰かの在り方を羨ましがったわたし。


それは、

わたしの中のわたしらしさ(本心本音)を封印していたからおこったこと。



いまのわたしは、

わたしの中の本心本音の欲に気づけてる。


そんな野望があったのか…と驚いたけど、

100%のわたしでなら可能だともおもえた。


誰かの、何かの真似。

親の真似、先生の真似、社会人の真似。


普通は。

みんな一緒。

常識。


それでは本心本音が満たされず、

反作用なリアルばかりが注がれる。


満たされないから繰り返される。

なんどもなんどでも。



そういうことに気がついて、

それが腑に落ちきってしまった途端…


わたしの未来は真っ暗闇になりました。