ヒトで在ることってやめられるんですね。知らんかった。
なーんだ。
あの断言からまだ20日しか経ってないのか…ほんと流れ早すぎ。
ヒトガミになって20日ほど。
〝ヒトで在り、神々でもあるわたし〟なヒトガミでしたが、ヒトガミにもバージョンアップがあるんですね(笑)
わたしはヒトガミ。
過去にヒトであったことのある者であり、神々(神仏)でも在り、宇宙そのものでもで在る。
…に変更になりました。
いやー、 ほんと楽しいです。
頭おかしすぎて。
ヒトデナシですね。
ヒトで在ることをやめちゃったんだから。(笑)
ヒトで在ることはやめられる。
これを知りました。
ヒトは死ななきゃやめられないのだと思いこんでましたが、そうではありませんでした。
肉体を持ったままで、
ヒトで在ることはやめられます。
ヒトで在ることを手放せます。
これに気づいたとき、震えました。
一瞬の恐れ(反作用)ののちの大歓喜!
なーんだっ!と。
マヂかーっ!と。
いいんだっ!
やめちゃってもいいんだっ!と。
わたしはヒトガミであり、
わたしはヒトデナシでもある(笑)
うわーっ!
これに気づいたあと、フォローの叡智が注がれまして、その内容がまたもうたまらん内容でした。
どんどんピースが繋がって、
全体像が見えてくる。
今後の投稿で晒していこうとおもってますが、先月投稿した下記の内容の続きですね。
神性・仏性で自我を編み、編まれた自我を解いて神性・仏性を編む。
神性・仏性の塊を解いて自我を編み、
編まれた自我を解いて神性・仏性を編む。
わたしの自我は解ききられ、
既に神性・仏性が編まれきられていました。
それなのに、
わたしは自我のあった領域に留まり続けていた。
ココがわたしの場所だと思いこんでたし、ココからでられないとおもいこんでたから。
そもそもわたしは、
神性・仏性の塊の場にいたのです。
そして肉体を創りそこに移動しました。
その場で自我を編みました。
自我を編みきった10年前、
今度はとある場で神性・仏性を編みながら、いま在る場の自我を解いていました。
とある場で神性・仏性を編んでいたわたしはヒトガミのわたしです。
神々寄りのヒトガミのわたしです。
自我を解いていたのもヒトガミのわたしです。
ヒト寄りのヒトガミのわたしです。
10年前から、
わたしは既にヒトガミとして存在していたんですねぇ。
そのハタラキを知覚しきるほどの振動数ではなかったってだけで。
高波動領域のわたしが何をしているのか、
低波動領域のわたしにはわかりません。
わたしらしさ、わたし純度が高いほど波動があがります。
わたしから、
善悪、損得、罪悪感、罪罰などの概念を解放したあたりから純度がガクンとあがりったことを実感しました。
そして昨日、
正義感、使命感、敵味方などの概念を解放したらすごく気分がよくなりました。
外してみるとわかる。
ああ、要らなかったんだー♪
ないとラクチン♪ 軽いわー♪
伸びをしてる気分。
これらの断捨離で、
波動、振動数がぐんあがったようでイマココのわたしの波動領域が上昇します。
が、
そのわたしを掴み引きづりおろす在り方があります。
イマココのわたしの波動域があがるごとに、その在り方と振動数の差が開きます。
それでも、
その在り方はわたしと繋がっていて、事あるごとにその波動域へわたしを引きづりおろすのです。
それがまた…
もうキっツイんです。
その波動域がもう不快でたまらんのです。
でも、
それをキツイと認めちゃいけない…
そんな風に捉えてたんですねぇ。
気づいてみて実感しました。
その繋がりが〝ヒトで在る〟ということ。
ヒトで在ることへの〝執着〟。
生活にフォーカスするたび、
わたしはヒトであるわたしの波動領域に引きづりおろされます。
あの支払いはどうなってる?
いつまでにいくら必要なのか?
退院時の精算、役所への申請…
こーいったことにフォーカスするたび、イマココのわたしは〝ヒトであるわたしの波動領域〟に引きづりおろされるのです。
イマココでご機嫌でいたのに、
引きづりおろされた途端、目がどんより…
もうね、明らかに違うんですよ。
在り方も気分も。
だから、
可能な限りイマココにいるようにしていました。
それしかできないとおもってました。
だから!
ヒトで在ることをやめることができるだなんて知ってしまって狂喜乱舞!
その閃きが湧いた時、
本当に興奮しました。
本当に嬉しかったなあ。
それが今日の昼間の出来事なんです。
今日はkin45 赤い律動の蛇。
赤蛇チクチャンは真実を暴く。
わたしはわたしを暴く。
ヒトで在ることが不快になってしまってるわたしがいることを暴かれちゃったわたし。
こんなこと認めるの怖いでしょ、、、
でも、
認めきっちゃったらいい気分♪
暴く、暴かれるって気分爽快♪
チクチャンは心強いわたし。
わたしをごまかさないわたし。