わたしが100%で在ることを実感している時間がとても幸せでして。
それがとっても嬉しくて。
そんななか、
幸せすぎてつらくなってるわたしがいました。
最初、無視しました(笑)
そんなのいるわけない、
いたらおかしい…。
そんな風に捉えたんですね。
でもま、
気づいてしまったんだから仕方なす。
無視しきれなくなって、凝視しました。
この幸せは長く続かない。
いま幸せであればあるだけあとで酷い目にあう。
調子に乗っていてはいけない。
気を引き締めなくちゃあとで痛い目にあう。
……うーむ。
そんな風におもってもいいし、
そんな風に捉えてもいいんだけども、
よーくみればよーくみるほど、
この捉え方、このおもいかた、
わたし発のスタイルじゃないよなぁ。
誰かの捉え方、おもいかたを真似たもの。
レプリカ感満載。
わたしだけどわたしじゃない。
わたしなのにわたしじゃない在り方をしてしまってる。
わたしなのに。
わたしなのに。
わたしは問うてみた。
つらいよね。
イマココのわたしと同調する?
それとも、
その在り方のままミナカヌシ(わたしの宇宙の源)へ還る?
つらいのは、苦しいのは、
イマココのわたしとの振動数があってないから。
無理しなくていいのよ。
つらいなら、苦しいなら、
変えるか、還るか。
そして、
つらそうにしているわたし、
苦しそうにしているわたしに気づければ、変えるか?還るか?を問うことができる。
そして、
〝インディゴ色のわたし〟のように、
その在り方のままミナカヌシの元に還ってもいいのだ。
〝インディゴ色のわたし〟を解放できたあの経験は、いろんなわたしに対しての対応の仕方に自信をもつことができた。
わたしは、
色んなわたしに対して常に誠実に対応できている。
わたしは無視しきれない(笑)
つらいわたし、
苦しいわたし、
そのままの在り方でイマココに居てもいい。
以前は、
つらいと叫ぶわたし、
苦しいと暴れるわたしをみていられなかった。
みつけては、
助けようと、変えようとしてしまっていた。
でも、
つらくてもいいんだ。
苦しくてもいいんだ。
そういうことがわかってからは、
つらくしているわたし、
苦しくしているわたしを、
わたしがどーにかしなきゃ!という義務感、焦燥感が消えた。
つらくしているわたし、
苦しくしているわたし、
それぞれのわたしに問う。
イマココのわたしと同調するか?
その在り方のままミナカヌシの元に還るか?
わたしは
彼女らが選んだ道に進むよう意図する。
それがわたしの仕事。
イマココのわたしと同調することが全てではない。
ミナカヌシの元に還るという選択肢もあるのだ。
インディゴのわたしがそれを教えてくれた。
インディゴのわたしはインディゴのわたしのまま根源へと還っていった。
ミナカヌシの元で自身を解いているのだろう。
そういう選択肢もあるのだ。
つらそうにしているわたしは、
イマココのわたしと同調する気はサラサラないようだ。
わたしの問いかけに対し、
なんでわたしがそんなことしなきゃならないのよ!と大層ご立腹(笑)
わたしの中に在るからといって、全てのわたしと同調できるわけじゃないのね。
分かり合えるわけじゃないのね。
知らんかったょ(笑)
いろんな在り方がある。
あっていい。
ミナカヌシはわたし。
ミナカヌシはブラックホール的なハタラキもしているようで。
わたしは自分で在り方を変えたけれども、インディゴのわたしのようにミナカヌシの元に還って、そこで在り方を解くスタイルもあるようで。
ご立腹のわたしは、
自身を変える気はサラサラない。
ならば、
ミナカヌシの元に還る?と問うと、
訝しげな顔をしてる。
意味がよくわかってないようだ(笑)
では、
わたしは意図する。
わたしは、つらそうにしているわたしを解放した。
わたしがつらそうなわたしの手を離せばいいだけ。
わたしがつらそうなわたしとのつながりを離せばいいだけ。
途端、
つらそうなわたしは、大いなるわたしの中の流れに乗って還ってゆく。
つらそうなわたしは、つらそうなわたしのままミナカヌシの元に還るのだ。
あとは、
ミナカヌシとつらそうなわたしとの間でのこと。
わたしの仕事は終わり。
わたしがわたしの仕事を把握できてるって楽チン。
自分が何であるかを知らない生活ってほんと大変だった。
いま、楽チンすぎて超幸せ♪