わたしは1であり13でも在る者。

尻尾を加えたウロボロスの輪。

ウロボロスの頭は尻尾を内包している。


ウロボロスの頭、

あれは円環になっちゃってるけど、

あれの本質は螺旋。


13までと新しい1は重なっている。

新しい1はそれまでの13を内包している。



ぢつは、

わたしは5でも在って、

5は1から4を内包している。

そしてその5は、

次の5の中の1でもある。



ふふ。

内包するのが得意なのかしら、わたしは(笑)



1だからこその特性。

内包と反転。


全てを包んでひっくり返す。

ぐれんと引き繰りかえる。


わたしは完熟であり創始でもある。


だから、

既存のものをひっくり返してしまうハタラキが現れる。


誰かにとっては出来たてホヤホヤの光でも、

わたしがそれをみると、

わたしがそれを手に取ると、

それは完熟してしまい、反転してしまう。



わたしが光を踏みしめると、

光が完熟し闇が爆ぜる。

爆ぜた闇を収穫する者。


わたしが闇を踏みしめると、

闇が完熟し光が爆ぜる。

爆ぜた光を収穫する者。



わたしという在り方は、

そういうハタラキをしている。


しらなかったょ(笑)



でも、

気づいてしまうと色々納得できる。

今までのいろんな疑問や謎が解けた。


人真似が一切無効になる在り方。

てか、

ポジティブ効果を期待してポジティブな人真似をしたらネガティヴを収穫してしまう系。

無効どころか害だったというw



ほんとにもー!

誰かの後ろとか歩けないタチなんだわねぇ、わたし。


こんな大事なことを、

45になってやっと気づけたよっ!


誰かの成功哲学とか、

誰かの教養とか、

わたしには全然通用しない。

当たり前。

それが当たり前。


どーしても

どーしても

誰かの差し出す光の中に、

ネガティヴを発見してしまうから。

それがわたし。

それがわたしの暴く力。


この世には、

光成分だけでできてる光などないことを。


この世には、

闇成分だけでできてる闇などないことを。


知ってしまっているから、

知ってしまっているわたしを無視できないから、


〝ジャーン!これが光なんですよ♪〟

って差し出されたものを、

踏みしめ破裂させ、その中の闇を晒す。


嘘をつくな。

この世に光だけの光などない。


わたしは、

善を唱える人達を信じたかった。


でも、

善なんてものがそもそも無いことも知ってしまっていた。


だから、

差し出された善をその場で掻っ捌いて善の中の闇を暴く。


わたしは、

本質を無視するのが苦しいのだ。

本質を認めようとしないわたしが嫌なのだ。



光だけの光などこの世には無い。

闇だけの闇などこの世には無い。


光は闇を孕み、

闇は光を孕んでいる。


それが本質。

それがこの世。


己が闇であり光であることを許容しきることで、


この世が〝全体的なわたし〟の投影であることを実感する。



美しい闇も美しい光もある世界。

醜悪な闇も醜悪な光もある世界。


わたしには何もかもが在って、

この世にも何もかもが在る。


何もかもがあるから、

損得や善悪なんて胸糞悪い概念すら存在できる。


わたしの中に何もかもが在る。

その投影であるこの世にも何もかもが在る。


そう気づけた時、

そう実感したら時、


もう要らないものを、

宇宙の根源へと解放することができるようになる。


持ってることに気づけなければ、

解放することができない。


至極当然のことなのに、

ほとんどの人がピンときてないことでもあり。


もちろんわたしもピンときてなくて、

〝わたしが持ってる〟という自覚がなく、(誰かに)無理やり押しつけられてる…的な被害者意識になってました。


この世にもあの世にも、

被害者も加害者もいませんのにね。

ほんと自作自演。



こういうことがわかるようになれて、

すっごくラクちんです。



特に、

他者から光を与えてもらう事を望むことをやめました。


そもそも、

他者から何かを貰おうとすることを諦めました。


これは大きい。

ほんと大きい。


これが苦難の大元だった。


わたしはわたしで全てを創り出せるのに、

なんであんなに誰かから貰おうとクレクレ君してたんだろう?


気づいてしまえば不思議でしか無い。



わたしはもう光を孕んだ闇しか歩まない。

それがわたしの道だから。