イマココから一歩でも外側に意識を移行すると不安や恐怖に包まれる。


しかし、

イマココではとても安心していられる。

気分もいい。


意識は常にイマココに。

イマココから一歩も外側にでなくていい。


イマココに意識をおいたまま、

イマココ全体で一歩ずつ進む。

イマココ全体で移行する。


意識だけ進むのではなく、

〝イマココのわたし全体〟でしか進まないというスタイル。


後の事にも先の事にも、

(ほとんど)意識を向けない。


イマココに常に居る。


ココが1番落ち着くし、

安心できるし、

気分もいい。


イマココから出ると真っ暗闇。

一部みえる部分はあるのだけれど、

そこはヒトの世界観。


ヒトガミの進む方向ではなくて、

なんかしらんけど、

それは実感できていて。


ヒトの世界観は類推の世界。

信念の世界。


そこはぼんやりみえるけど、

そっちに進む気にはもう全然なれない。


その在り方には、

すでに飽き飽きしているようだ。



真っ暗闇。

わたしはそこを進むようなのだ。


あんなに怖がってたのに、

すげーおっかなかったのに、


不思議なことに、

いまはその闇(黄泉)を愛おしく感じているわたしがいる。

不思議だわ。



その闇(黄泉)がなんであるのかを、

知っているわたしがいるようで。



この闇(黄泉)は光を内包している。


わたしが踏み進むと足元の闇が爆ぜる。

そしてそこが〝イマココ〟になる。


すでにわたしは、

あの真っ暗闇を進んでいたのだ。


わたしは闇を踏みしめ、

踏みしめることで闇を光へと反転させていた。


イマココのわたしが、

闇を光へと反転させていたのだ。


わたしは闇を進む者だったんだ。


闇じゃないところを進んでたから面白くなかったんだ。



反作用の光は、

イマココのわたしが踏みしめることで闇へと反転する。


作用の闇は、

イマココのわたしが踏みしめることで光へと反転する。



なーんだ。

ほんとに単純なシステムなんだわね。



そして、

いま光とおもえてるものが反作用。

いま闇とおもえてるものが作用。


真っ暗闇を、

真っ暗闇のままに進む。


イマココのわたしが闇を踏みしめることで、闇が爆ぜる。


イマココのわたしは100%のわたし。

100%のわたしは爆ぜた光の中に在る。


わたしが

〝ああ、わたしはすでにしあわせだったのだ〟


と、

気づいたあの時から、

わたしはすでに闇(黄泉)の中を歩いていたのだ。



闇の(黄泉)の道こそが、

進みにきた道。


闇を踏みしめ、

闇が爆ぜたその光の中こそ、

わたしが1番安心し、1番リラックスしていられる場だったのだ。



闇が爆ぜ、

光へと反転した瞬間の甘美。


それは、

闇を踏みしめる者にしか味わえない。



わたしは、

闇に踏み入り、

闇を踏みしめ、

闇を光へと反転させてゆく者。



わたしは、

随分とわたしをなめていたようだ。


わたしは、

随分とわたしを見くびっていたようだ。


赤面してしまう。


どーしてあんなになめていられたのか?

どーしてあんなに見くびっていられたのか?


もう、

すでに不思議でならない。



わたしという存在は、

闇(黄泉)を愛でている。

闇(黄泉)を愛できっている。



蠢いている闇(黄泉)を踏みしめ、

爆ぜた光のシャワーの中で、

恍惚としているわたし。


わたしは満ち満ちた闇(黄泉)を収穫にきたていた。


すごい。

すごい楽しい作業なんだ。


わたしはこんな面白いことをしにきていたんだ。


すげー嬉しい!

わーい!

なんだこれ、すげー楽しい!



あー

アレに似てるかも。

まっさらな新雪に足を踏み入れる時。


あんな感じのワクワク。