外側=肉体・物質・色・脳
人間=外側と内側の交差点。存在位置。
内側=霊体・意識・空・内宇宙
内側に搭載されてた神性・仏性・叡智の塊(ピュア、純粋、粗削り、無垢、原石)を、
人間の知性を経由して、
人間の外側での体験を通して内側の塊が解かれる。
←
塊を解かれきると、
そのベクトルは反転する。
人間の外側での体験を通して、
人間の知性を経由して、
人間の内側で神性・仏性・叡智が編まれる。
→
人間の知性を経由して、
人間の外側での体験を通して、
人間の外側に自我意識が編まれる。
←
自我意識が編まれきると、
ベクトルは反転する。
人間の外側での体験を通して、
人間の知性を経由して、
人間の外側の自我意識は解かれる。
→
自我意識が解かれきると、
ベクトルは反転する。
行って還ってと行って還ってでワンセット。
2つの〝行って還って〟が同時に行われている。
解かれるとき、編まれている。
編まれているとき、解かれてる。
2つの作用ではなく4つの作用。
極性の間では2つではなく4つのベクトルが作用しているのねぇ。
神性・仏性・叡智は人間の知性を経由し、物質としての体験をすることで刺激を受け、活性化して意識として開花させることができるってことなのねぇ。
神性・仏性・叡智の種(塊)が開花するには、人間の知性と肉体(物質)での体験が必要だってことね。
だから、
知恵を使わないのは、
思考を停止してるるのは、
無難にと体験を避けようとする姿勢は、
冒険やチャレンジをしない姿勢は、
自分の中の神性・仏性・叡智の開花を妨げてる、とも捉えられるのよね。
思考を停止し、
冒険心チャレンジ心を無視していると、
どんどん自信が喪失され、
どんどん意欲が低下し、
絶望する。死にたくなる。
そこで死んでみると、
死を覚悟してみると、
死を受け容れてみると、
死がなんであるかがわかる。
死を怖がるのは、
死がなんであるかをしらないから。
死ねる人は死がなんであるかをしっている。
死ぬ覚悟を決めて死ねなかった人も、死がなんであるかをしっている。
もういつでも死んでいいと肚がきまった人は、死がなんであるかをしることになる。
そして、
あー なーんだ。
死ってそんなことだったのね。
なーんだ。
と、おもうとおもう(笑)
死を恐れる状態ってのは、
自分が物質であると思い込んでいる状態。
自分は物質でしかないと思い込んでる状態。
それが
〝三次元化してる四次元意識〟
〝物質化してしまってる意識〟
そして、
その上位の状態というのは、
自分が〝意識体〟だと自覚認識してる状態。
これが四次元意識なのねぇ。
やっと四次元まで実感できましたー。
\パチパチパチパチ/