◎かわいそうな人(不憫な人)はどこにも居ない。
◎原因は過去にはない。だから原因探しはもう要らない。
先日から想いつきでこの2つの概念(解釈)を取り込んで生活していました。
そうすると、因果律も業も消えるんですね、これ。
なにこれ、楽チン。超楽チン。
あれ?
カルマを超える解釈。概念。
よくよく考えたらこれってすごいことなんじゃない?
原因と結果。
因果律。
因果応報。
もうこのパターン飽きた。
超飽きた。
そもそも、原因は過去にない。
原因は未来にある。
過去にあると捉えていると詰む。
詰んで動けずギャン泣き。
ほんと外してしまうと〝こんな簡単なこと、なんでいままで気づかなかったのかしら?〟と首をかしげてしまう。
夢をみていたようだ。
原因が過去にあると思い込んで探していた時代はもう終わりー。
イマココに注がれるリアルはイマココのわたしに相応しいリアル。
過去のわたしに相応しいリアルが注がれている訳じゃない。
今日お腹を壊したのは、昨夜お腹を出してねたからじゃない。
昨夜アイスを食べ過ぎたからじゃない。
イマココでお腹を壊す必要があるから、イマココに注がれたリアル。
イマココでぎっくり腰になる必要があったからイマココに注がれたリアル。
イマココで死ぬ必要があったからイマココに注がれたリアル。
未来にきてみたらわかる。
わたしに必要だった体験、経験、気づき。
ネガティヴな体験もポジティブな体験も、未来のわたしには全てが必要な気づきだった。
無駄なものなどどこにもなかった。
艱難辛苦を艱難辛苦と捉えて体感したことが重要だった。
艱難辛苦を艱難辛苦と捉えて体感する必要があった。
そして艱難辛苦は〝捉え方の問題でしかない〟ということを知り、それを実感する必要があった。
〝楽チン・簡単・気分いい生活を堪能しきるわたし〟の為の艱難辛苦体験だった訳で。
艱難辛苦時代のぎっくり腰体験と、楽チン・簡単・気分いい生活のぎっくり腰体験ではもう捉え方がまるで違う。
ぎっくり腰になったことに対して、罪悪感がまるでない。
不安も心配も自責の念もない。
むしろ…
〝ここで!?このタイミングでぎっくり腰きますかっ!?どーなっちゃうわけわたしは?〟とニヤニヤワクワクしてたりしている。
とういことで、
土曜日の昼からぎっくり腰ライフを満喫しています。
なかなか楽しいです(笑)