嬉しくて楽しくて面白くて幸せです。
やばいっす。超やばいっす。
わたしってこんなに幸せ感じててもいいんだぁ…
幸せを感じることをわたしはとても制限してたようなんです。
ストイックに目標に向かいすぎるノリがあって。
観光で料金払って鍾乳洞に入っても、出口目指して寡黙に進むタイプでした。
観光ってなに?
堪能ってなに?
いい大人になってても、
色々よくわかってませんでした。
うひゃー!たのしーなー♪
と、シンプルに純粋におもえるようになりはじめたのは去年の春頃。
イングレスというゲームが面白くて、中でも三角を作ることにハマりまして。
ポータル過密エリアで三角作りまくってておもわず叫びました。
ひゃー!楽しいっ!
超楽しいっ!!!
行動で楽しみきれたのはコレが最初だった気がします。
思考で楽しみきることはよくやるんですが、行動で楽しみきることはそれまでありませんでした。
気を使いすぎてたんですね。
気をつかわない方がつらかったんですが、気を使ってることを評価されたがってた部分もありましたね。
承認欲求。
いま、
その他者に対しての承認欲求が皆無です。
まったくありません。
あんなにあったのに、
こんなにも無くなるものなのかと驚きました。
何かのせい、誰かのせい、
この思考グセをやめたら、誰かに認めて貰おうというおもいも無くなりました。
わたしは裕福であることを1番に望んでいました。
貧乏、欠乏へのフォーカスがつらかったから。
足りない中での金銭の工面ややりくりが嫌だったから。
家族が困ってるのにお金を用立てられないのが嫌だったから。
それらの問題はわたしの思考グセからくる在り方が原因で、それを体感すべくリアルが注がれていました。
わたしとはなにか?
この世とはなにか?
あの世とはなにか?
わたしは何を想い何を感じてるのか?
わたしはどう在りたいのか?
この10年、
徹底的に内観、凝視してきました。
誰かのせいにしないにはどう捉えたらいいのか?
わたしのせいにしないにはどう捉えたらいいのか?
誰も悪くない、わたしも悪くない、
そんな都合のいい世界観なんてないんだろうか?
ないのならば創れないだろうか?
結果、
備わっていた創造力と意図力に気づく。
備わっていた内宇宙と支援存在に気づく。
意図の力、創造力、支援存在を
徹底的に活性化しフル活用!
新しい世界観を創造しました。
旧世界観と、
新たに創り上げた世界観。
昨日、
新世界観への移行が完了しました。
わたしは何者で、
わたしは何をしにココにきているのか、
わたしはなにを歓びと捉えるのか、
そういったことを自覚認識しているわたしが、己の能力をフル発揮して生活している世界です。
わたしの場合は
アメノミナカヌシという宇宙の根源といわれる存在の在り方を、ココで肉体を伴った状態で発現することを歓びとする存在です。
なんかすごく大層なことに捉えられそうなこと書いてますが…
ソレに必要な能力を備えてココにきてますから、どちらかというと簡単なことなんだとおもえてます。
歓びを発現しにきた。
歓びを体験しにきた。
愛できりにきた。
受容しきりにきた。
わたしは〝きり〟たがりです(笑)
やりきりたい。
愛できりたい。
満たしきりたい。
堪能しきりたい。
わたしはフル発揮しにきています。
だからフル発揮できないことをつらいと捉えます。
アメノミナカヌシと共にあるとき、
わたしは歓喜で満たされ、自由と可能性の拡大・拡張をヒシヒシと実感します。
根源の音のヒビキとはこんなにも躍動感と歓びに満ちた音なのだとしり、
その音がわたし自身の音であることを理解したとき、涙が溢れだしました。
そして、
そのスタイルで在ることがわたしにとって自然なのだということも実感しました。
荒唐無稽におもえるイメージが、
じつは1番わたしらしいスタイルだったということを全身で実感しました。
もう
誰になにを言われても構わないなあ。
言われても困らないし傷つきようもない。
なんであんなに人目を気にしてたんだろう?
なんであんなに他者の意見を気にしてたんだろう?
人は皆、
それぞれに〝己の道〟を用意してココにきてる。
そんな当たり前のことを、
なんでこんなに忘れられてたんだろ。
思い出してしまうと、
これを忘れられてたことに驚く。
変容してしまうと、
なぜあんなに悩み苦しんでたのかと驚く。
線一本超えただけで、
こんなにも在り方が変わる。
こんなにも捉え方が変わる。
やっと目が覚めた。
目が醒めきった。
やっと
わたしらしさをフル発揮する生活様式へと変容しきった。
わたしがココで響かせる音と
根源から響く音が循環する。
どんなリアルが注がれるのか。
楽しみでならない。