◎迎え入れる生活

受け取る為の準備をして確信して待ってる。
ワクワクしてまってる。

水着、浮き輪、風鈴、蚊取り線香、浴衣…を用意して〝夏〟がくるのを待ってる。夏が来る、ワクワク…

これが〝迎え入れる生活〟と呼んでみています。


あ、花火もしよう!
スイカも食べよう!
ああ、待ち遠しいなあ♪

と、準備やきたらやることを用意して、ワクワクして夏を迎え入れるために待つ時間。



◎ベースの生活

待ちながら日々どんどん注がれる〝リアル〝を堪能してる。

どんどん注がれるリアルを
受け容れきり満たしきり溢れ出しきる生活、これが〝ベースの生活〟



◎迎え入れる生活とベースの生活。

迎え入れるには〝それは必ずやって来る〟という確信が必須。

この確信は〝ベクトルが定まった未来〟の自分からイマココのわたしに送られててるものを受信してる。

イマココのわたしが未来のわたしを知覚してる、ともいう。
どちらでも同じことだし、同時に起きてること。


お金持ちになりたい!って口で言ったり書き出したりイメージしても、信念世界が貧乏暇無し設定にしかなってなかったらお金持ちな生活をリアルに現せない。

そもそもやってる当人もやってこないだろうなあと思ってる(笑)
だって自信がないもの。
自分のこと責めてるし嫌ってるんだから。


そしてそう思えててもいい。
そこをダメ!ってするとさらに萎縮する。
緊張する。縮こまる。


緊張、萎縮してたらワクワクなんてできっこない。
ワクワクしたいなら緊張萎縮を解くことからはじめた方がラク。

または緊張萎縮しない方向でワクワクできる方法を探した方が早いw


こんな当たり前のことが混乱してたわたしには全然みえてなかった。
緊張萎縮から狭視野、狭思考になっていた。
そしてその自覚が少なかった。


緩むの大事、超大事!


迎え入れる準備、楽しい!
わたしはこういうことをやりたかったんだ。

豊かな四季のある日本という国に居ながら四季をちっとも味わってなかった。

春を味わい、夏を満喫し、秋を愛できって、冬を堪能する。

味わって、満喫して、愛できって、堪能しきってみて気づけることがある。

あー 夏休み楽しかった!
でも線香花火はあの量じゃやり足りなかったね。来年は倍量用意しよう!
バーベキューのお肉ももっとあっていいね!

感情、感想、要望、希望を意図して信念化し、宇宙へと排出。

そしてまた夏がやってくる。
たくさんの花火やお肉を携えて。

緩やかに上昇しながら廻る、廻る、循環。


ゆるゆるな思考と身体には、気分のいいリアルが注がれる。

カチコチな思考と身体には、カチコチを維持できるリアルが注がれる。


在り方が変わればリアルは変わる。
これは真理。
リアルは〝在り方〟に引き寄せられてるものだからね。

在り方を変えるのは難しくない。
むしろ簡単。

でも、変えた自分を〝リアルが変わりきるまでキープしつづける〟のはなかなか大変なのよね。
大事なのはこっちの方なのね。

マーラがたくさんやってきてはあれやこれやと惑わしてくるから。

〝これは通り過ぎるものなのだ〟ということを知っていてもあんなに大揺れだったもの。


マーラの誘惑に惑わされない生活。
マーラは夢の所属。

夢から覚めて、醒めた目でリアルを眺める。
そこにマーラはもう居ない。

そこには〝空(くう)〟しかない。

それは全てで在り、なにででもない広大な空間。

ここで創造の力を思いだす。
自分がなにであったかを思いだす。

なにもないから、なにであるかを思いだせる。

何かで在り続けていたら思いだせない。
何かで在り続けようとしていたら思いだせない。

わたしとはなにか?

所属も名前も性別も、肉体までもをそぎ落として、それでも残るものがわたし。

1度死ぬと思いだせる。
キリストは1度死んでみた。
そして覚めて醒めて復活した。


ブッタは死なずに、イマココから一歩も動かない状態で大量のマーラを味わいきってみて気がついた。

いつまでも続くかのようにおもえるこの誘惑が、じつは限界があるのだということをしっている自分が既にココにいたことに気がついた。

そしてそれが事実であったことを体験した。


流れゆくことが本質。
留まりつづけるものなどどこにもない。

気づいてしまうと、なんでこんなもんにひっかかってたんだろ?と思えてしまう程度のトリック。


あんなにつらくて怖かったのに。
なんであんなもんがそんなに怖かったのか…


そんなもんなんですねぇ。
面白い。ほんと面白い。
何もかもが面白い。


迎え入れる生活、使いこなそーっと。