長い間自分で自分をごまかしてきてた訳なのですが、
そのごまかしが効かなくなりました。
そしてとうとう…
自分をごまかすことを諦めました(笑)
これまでも、
わたしはいつでも完璧だったし、
わたしはいつでも整っていたのに、
「どこか不完全であった方が都合がいいわたし」がいたのですねぇ…
欠乏ごっこ?とでもいうか、
「成長する」って言葉の解釈に翻弄されてしまっていたというか。
うん。
そーですね。
わたしは「成長」って言葉とその解釈に翻弄されてました。
そして「自立」という言葉とその解釈にも翻弄されてました。
なんとゆーか、
「イマココは完璧である」ことを認めさせない方向になっちゃう捉え方をしちゃってました。
成長と自立という概念で。
『イマココのわたしは完璧、完全である』
↑最初はなんのことだかちっとも理解できませんでしたが、これを実感してしまうと「もう全くもってその通りだ」としか言えなくなっています。
完璧なんですよねぇ。
完全なんですよねぇ。
わたしは既にわたしが完璧・完全で在ることを受け容れ許しきりました。
そうしたら、既にわたしが完璧・完全であることを実感しました。
わたしなんてまだまた…
立派に成長しなきゃ…
理想のわたしには程遠い…
そう思いたがってるわたし、
そう思ってるわたしはいます。
居ていい。
でも、
わたしは既に完璧であることも許容しているし実感もしている。
わたしなんてまだまだ…
これらは謙遜という名の「甘え・怠惰」ですね。
自分の一部を無視している。
どんなリアルが注がれようと、
それを歓びとして実感できるわたしがいることを、
そんなわたしを発揮することを怠っている。
イマココに既に在るものを発揮せず、
イマココにまだないものを求めてきた。
イマココで発揮するべきものは、
既にイマココに用意されていたのに。
イマ発揮できないのなら、
それはイマココでは不用なのだと想えた。
それを発揮する場面ではないということ。
イマ発揮できるものだけを存分に発揮していけばいいのだと想えた。
とても、シンプル。
以前はできなかったのに、
いつのまにか発揮できるようになってるものもある。
バージョンアップ更新は自動的に行われているようで(笑)
だから定期的に自分の中を点検確認するのは必要なことなのかもなあと。
ま、点検確認するためのリアルは注がれるんだろうけども。
なんにせよ、
ほんとうに頑張らなくていいんだなぁと。
無理しなくていいんだなぁと。
在るものだけを発揮していく。
ただそれだけで充分なんだなあと。
欠乏にフォーカスして力を振り絞るより、
在るものを発揮することにフォーカスして力を廻す(循環させる)方がラク。
そんな風に想える今日この頃。
イマ、わたしは何を発揮できる?
わたしはわたしを許しきることにフォーカスできる。
わたしがわたしを許しきることで、
わたし全体が緩む。緩みきる。
わたし全体に体液と気力が漲り廻る。
ぐるぐると廻るわたし。
「わたしがご機嫌でいること」以上に重要なことは何もない。
わたしはわたしを知ることで、
どんどんラクになれていく。
全ての答えはわたしの中に在った。
もう、外側で探さなくていい。
もう、外側に求めなくていい。
もう、外側で認められなくていい。
わたしがわたしの全てを認めているんだから。