「生産性のない人間は、この世に存在する意味がない」
「働かざるもの食うべからず」
「人様に恥を晒し迷惑をかけて生きるくらいなら死んだほうがマシ」
わたしは↑これらの呪いにかかってまして。
ワーカーホリック寄りな生活を長年していました。
切り替え下手なので、自分から仕事を切り離せなくて24時間仕事と接続してる状態になってしまうタイプなんですねぇ。
どの仕事してても、仕事とは24時間繋がってました。
この手のタイプは労働者には向いてないんですねぇ。
研究者向きなんです。
この手のタイプは研究するのにとても向いてるんですね。
45歳になってそんな自分の傾向がわかりだしました(笑)
自分の特性って、早めに把握しておけたらラクなんだろうなぁ。
企業でお勤めしていた時は、
特技である「観察眼」のデメリット面ばかりが現れました。
企業は突出した能力を欲していない。
余計なことするな、と邪険にされてしまう。迷惑がられてしまう。
「おとなしく管理されてろ。指示したことだけやってろ。」
これが本音なんですねぇ。
逆に、弱肉強食なアングラワールドではこの観察眼はとても有効にはたらきました。
特技は環境によって長所にも短所にもなってしまうんですねぇ。
ならば己の特技を知り、
その特技がポジティブに発揮できる環境を用意する、創る、ということはとても重要なんだなあと想えました。
わたしはやっぱり「型にはまるスタイル」は向いてません。
フリースタイル、自由に動けるスタイルでないとわたしの特性特技が生かせない。
やっとそのことを受け容れました。
やっと許容できました。
わたしには社会や企業という枠にはまってみたいというエゴがあったんですねぇ。
頭の欲求。他者承認の欲求。
でも、わたしは所属には向いていない。
駒にはなれない。
わかってるのに認めないでいた。
所属でもなんとかやっていける、
頑張ればやっていける、そう想ってた。
だから「やれない時、やれなくなっちゃった時」に頑張りが足りないからだ!と自分を責めていたんだねぇ。
責めるのをやめるために、
頑張るのやめる為に注がれたリアルなのに…
なんで頑張れないんだ!
このままじゃダメ人間だ!
頑張れ頑張れ!
頑張れっておっかない。
頑張れって何もわかってない。
頑張れって何も知ろうとしてない。
自分に頑張れ頑張れと無理させてるから、
他者にも頑張れ、もっと頑張れ!って煽るんだ。
自分の本心を無視してるから
誰でも煽れる。
自分の苦しさ悲しさを許容してしまったら、
自分にも他者にも頑張れだなんて言えなくなった。
言いたくもない。
泣きな。喚きな。好きにしな。
やりたいようにしな。
ぼーっとしてたっていいんだよ。
そう言いたくなる。
毎日毎日、なにも生産せず、
消費ばかりしてるわたしを嫌うわたしがいます。
毎日毎日、何かしなきゃ!と焦るわたしがいます。
それでもわたしは、可能な限り「なにもしない」をしてみました。
最初は全然できなくて、
常に自分を責めてました。
丸1年を超え、最近は少しできてきた気がしてます。
まだほんの少しですが。
この1年、自分を認め続けて、自分を許し続けててきてやっと少しできてきました。
自分の「存在価値」を認めきることができてなかったんですねぇ。
わたしの内側には全てが在ります。
内側も「わたし」なのですよねぇ。
この内側はすごい。
本当にすごい。
己の内側の凄さを知って、わたしはわたしを全面的に許す気になれたんじゃないかなぁ。
こんなに凄いんじゃ仕方がない。
わたしが凄いことも認めよう…的な?(笑)
わたしがぼーっとしていても、
わたしが眠っていても、
内側(宇宙)は常に弥栄の方向ではたらいている。
わたしの繁栄のために
わたしはここにいて、
わたしの繁栄のために、
宇宙がわたしの中に在る。
わたしの繁栄は宇宙の繁栄。
抗わなければ、弥栄の力がスムーズに発揮される。
我々は自転し、公転しながら上昇している。
上昇は弥栄の方向。
ぼーっとしてても繁栄する。
緩んでいたら繁栄する。
ネガティヴにみえて繁栄してる。
ポジティブにみえて繁栄してる。
頑張っても
努力しても
ぼーっとしてても
だらっとしてても
我々は繁栄している。
そうとみえなくてもしっかり繁栄している。
そういうことが
なんとなく腑に落ちだした今日この頃。
何をしてても、大した問題にはならない。
だったら、
わたしはラクしてご機嫌に過ごしてるだけでいいかなぁ。
そんな風に捉えたら、
「なにもしないわたし」も好きになれました。
何にもしてなくても弥栄の方向へと上昇してるんだもの。