あの世のものも、この世のものも宇宙(source)のもの。
地球も資源も宇宙(source)のもの。

宇宙(source)は子や嫁に全てを与えてる。
木々も土地も貨幣も与えてる。
自由に使えと与えてる。
気持ちよく使えと与えてる。


それを気持ちよく受け取らなかったのはわたし。
気持ちよく受け取れなかったのはわたし。
制限かけていたのはわたし。
わたしを全体から分離させていたのはわたし。


地球が可哀想!     はぁ?
資源が枯渇する! はぁ?
それは人のもの! はぁ?
それは人の土地! はぁ?

聞くたび湧きあがる違和感をムシし続けたのはわたし。


ネコは受け取り上手。
どの土地も宇宙(source)のもの。
宇宙(source)のものは俺のもの。

心地よい場所で寛ぐ。
感性を閉じてない人達から食事を得る。


宇宙(source)は全てを与えてくれてる。
地球ではひとつのものが二通りの姿で現れる。

自分はそれをどちらの面で受け取りたいのか?

それをつど決めていく。

わたしはこういうのが好きなんだ、わたしはこういうのが嫌いなんだ、つど気づいていく。
わたしがわたしを知る方法。

わたしコレ好き!もっとちょうだい♪
わたしコレ嫌い!もう要らない!

自分は知る。自分の欲求を知る。

何が好き?
何が嫌い?
何が心地よい?
何が不快?
何したい?
どうしたい?

注がれるリアルは常に問う。
「お前は何者なのだ?」と。
ただただ、問うているだけ。


強要しているわけじゃない。

我々人間は忘れるから。
思い出す為のリアルを宇宙(source)は注ぐ。


わたし達は忘れるから。

「ちゃんと起こしてくれよ!頼むよっ!今度こそちゃんと起きたいんだ!」
……と、頼んできてる。(笑)


宇宙(source)は顕在意識が起きようが起きなかろうか問題にしてない。
でも頼まれたことはなんでもする。
なんでも与えてあげたい。


宇宙(source)は与え上手で受け取り上手。
呼吸のプロ。
出し入れのプロ。
循環のプロ。

たくさんたくさん受け取ってるので、
いくらでもどれだけでも与える。


人間以外の生命体はそのことを知っている。
人間も「顕在意識以外の部分」はそのことを知っている。

統合されていない「顕在意識」だけが、そのことを忘れてる。


リアルは常に問う。
「お前は何者なのだ?(そろそろ起きれば?)」


わたしは問い続け、そして思い出した。
「あー!
宇宙のヨメしにココにきたんだったっ!」


何もかもを諦めても、「自分の正体」を知ることだけは諦められなかった。


自分らしさを封印し、この世でうまく立ち回ることを望んだが…
それはわたしが「ココでやりにきたこと」ではなかった。

どんなに社会的成功を望んでも…
宇宙(source)はわたしとの古い約束を守ってる。

顕在のわたしよりも、宇宙の方がわたしに対して誠実だ。

宇宙の方が絶対的に誠実。
どんなにそうは捉えられなくても、
これは真理。

神仏にも罵声を浴びせまくってるわたしにでも、
法を犯してるわたしにでも、
宇宙(source)は全てを与えてる。

神仏も宇宙(source)は罰など与えない。
どんな時でも、宇宙(source)は気づきを促すリアルを注いでる。

これが真理。


でも、
そのリアルをネガティヴに捉える自由も与えてる。

罰と捉えるのも自由。
バチがあたったと捉えるのも自由。
わたしはついてないんだ、と捉えるのも自由。


宇宙(source)は制限しない。
絶対的に。

制限の中には宇宙(source)は居ない。

なにも制限しない存在。
制限する必要が感じない存在。


自由を愛するのではなく、
愛が自由であることを知覚してるだけ。

わたしは愛を伴侶にしている。
愛とは自由で無制限で全肯定。

宇宙のヨメとは、伴侶の全てを知覚し、
伴侶の全てを伴侶と共同で所有する者。


あの世もこの世も宇宙(source)のもの。
宇宙(source)のものはわたしのもの。
わたしのものはみなのもの。