↑や↓などのベクトルの違いが腑に落ちたら、長年の謎だった「業やカルマ」という概念も腑に落とせました。
やっぱりベクトルが逆だったのでピンとこなかったんですね、わたしには。


何度も繰り返し読んだけど、頭では形になりはするけど…
どうもぴったりはまらない、ズレてる感が満載で。

なんとかして理解したい!腑に落としたい!とフォーカスするほどに、そのズレが強調されて酔ってしまう。
そんな気持ち悪さを感じてました。


ベクトルが逆だと同じ行為行動(カルマ)をしていても注がれるリアルは異なってしまう。

同じ行為行動をしていても↓ならポジティブが顕れ、↑ならネガティヴが顕れる。

カルマは「原因と結果の法則」と言われるようですが、善行と悪行という形で説明しているものばかりですよねぇ。
わたしが読んだのは全てそうでした。

これだとわたしは理解できませんでした。
腑に落ちないしピンともきませんでした。

「原因と結果」は本質だけど「善行悪行が原因で結果が顕れる」とはちっとも思えませんでした。

それは他者や社会をみれば明白でした。

善行ばかり積んでるのに貧苦な人はいましたし、悪業ばかり積んでるのに成功してる人はいました。

近くにいた大人に説明を求めると、
いつでもとんちんかんな説明しか与えられませんでした。

陰で徳を積んでるんだよ。
死んだら地獄に落ちるんだよ。
死んだら天国にいくんだよ。
そのうちバチがあたるよっ!
ろくな死に方しないよっ!

何言ってんだこの人たちは?
本気でそう思えてるのか?
理論が破綻してることに気づいてないのか?

本当に嫌なガキでした(笑)

子供の頃、常に納得のいく解を得られなかったことを嘆いていた時期もありましたが、これは齎されたことなんですよねぇ。


わたしは自分の中に在るものを現さなければならなかった。
自分の中に在るものを現しにきている。

だからわたしの中にあることに気づく必要がある。


内側に在るものを顕すには外側から内側に圧をかけて押し潰す。
外側を破って噴き出す。
このプロセスが必要なんですね。

噴火。
孵卵。
脱皮。
受精。


スムーズにいかないことはギフト。
このことを実感しました。

本当に知りたいことは全て、簡単に知ることができませんでした。
本当に知りたいことは全て、とんちんかんな解答しか得られませんでした。

ちっとも腑に落ちない。
全然スッキリできない。
イライラする。
ムカつく!
大人なのになんでわかんないだよお前ら!
ちっともわかってやしないのに、なんでわかってるようなノリができるんだ?

やっぱり嫌なガキでした。(笑)


幼いわたしは外側に答えを求めましたが、外側からはいつもとんちんかんな解答しか得られませんでした。

ヒントはたくさんありましたが、解はただのひとつも得られませんでした。

わたしが納得できる解。
わたしが腑に落ちる解。
わたしがスッキリできる解。


これはわたしの内側からしか齎されません。
それに気づけたこと。
そして内側から齎された解のスッキリ具合。

ああ、気持ちいい!!!
快感でした。

雲が霧が晴れる。
スッキリ爽快!


なーんだ。
答えはわたしの内側にあった。

これに気づけて本当に嬉しかったのです。
そして心底安心できたのです。

わたしだけがおかしいのではなかった。
間違ってなかった。
そう想えたから安心できました。


わたしはわたしの内側に在る概念を排泄しにきています。
わたしはココに「スッキリ」しにきてるんですねぇ(笑)

そして、たぶんその排泄物から不純物を取り除いて形成したい、までが「欲」な気がしてますが。

いまは排泄することで精一杯。

出しちゃダメなんだ!と強く思い込んでいたものを、やっと排泄するようになれたところです。


ただただ溢れ出してる。
ただのただ垂れ流してる。

沸きあがり全身を満たし、満たしきって溢れ出る。
溢れ出してもいいんだ。
そこに許可をだせたばかりです。


体験・行動を通じてわたしの中にモヤモヤが生じる。
モヤモヤは不快。
モヤモヤを晴らしたい!スッキリしたい!という欲求が生じる。
わたしの奥のわたしに解を求める。
奥のわたしから解を得る。
モヤモヤが晴れてスッキリ爽快!
スッキリするに至るまでに湧いた想いや感情や概念は、わたしにはもう不要なものなので排泄する。(アウトプット)


わたしの人生において、アウトプット(排泄、排出)という行動が非常に大切なのだということは昔からうっすら知覚はしていました。

しかし、わたしの中にあるものは変人の極みな内容なので外にだすことは「害」になる、そんな風に捉えて封印していました。

封印しすぎて情報過多になり、自家中毒的な状態になってたんですねぇ。
便秘ですね。

いまはやっと排泄しだしたところなので、水下痢状態ですね。
ちっとも形にならない。(笑)

それでも排泄することができるようになれてよかった。


ブログというスタイルで排泄するようになって3ヶ月経ちました。

ツィッターでは概念の垂れ流ししかできてなかったので、ブログではせめて文章という形にしたい。
そうおもって続けてみました。

ぎりぎり文章という形にはなりましたが、内容は水下痢そのものですねぇ。


水下痢でも排泄。

わたしは乳幼児の排泄トレーニング中なんですねぇ(笑)

どんどんスッキリしていきます。
どんどん軽くなれてきています。


わたしはただココに在るだけで物凄い量の情報を取り込んでいる存在です。
取り込もう意識してなくても取り込んでしまう。

そのことがどういうことなのか、を理解してなかった。

何もかもを取り込んでしまうブラックホールなわたしだからこそ、排泄は重要なんですねぇ。


わたしがわたしを理解してる。
そのことを日々実感できる。
これも歓び。
わたしはわたしを知れてとても嬉しい。