生きれるし死ねる。
これ「豊かさの極み」なんじゃないかなぁと。
豪華な体験?とでもいうか。
そしていまのわたしは「生きれてるし、死ねている」ということを実感してしまったら「あー 死も娯楽なんだ。それもかなりゴージャスな娯楽」なのだと気づきました。
また死生観が更新されてしまいました。
死は悪いもんじゃないし恐るもんでもない、とは昔から思ってましたが、それでもわたしは死ぬことを恐れてしまっていました。
死にそうになると「生き延びたい!死にたくない!なんとかコントロールして生き延びよう」と足掻きました。
足掻いてもどうにもならない時がなんどかあって、そんな時はフリーズしました。
「もう、どうにでもなれ」
そうなるとわたしは無敵でした。
必ずびっくりする形で事態は収拾に向かいます。
わたしは体験からも知っていたのです。
足掻くのをやめればわたしは無敵であることを。
それでもなかなか足掻くのをやめられず、頑張るのもやめられず。
足掻くこと
頑張ること
これは恐怖由来の行動なんですよねぇ。
なにかを怖がっていて、そうならないために足掻く、頑張る。
わたしは死にたくなかった。
生き延びたかった。
わたしは「死」を恐れていた。
「親に見捨てられたら死ぬ」という恐怖心を抱いた2歳3歳の頃からずっと、死ぬことを恐れていて、生き延びるために足掻き頑張ってきてたようです。
…で、
いまのわたしは死を恐れていません。
わたしの中には既に死んでいるわたし(生きていないわたし)が在ることを体感してしまったからです。
「生きているわたし」と「死んでいるわたし(生きていないわたし)」は同居しています。
わたしという存在はたくさんいて重なっています。レイヤード。階層。
各々のわたしはグラデーションです。
生きているというのは生体活動をしている状態のこと。
死んでいるというのは生体活動をしていない状態のこと。
生体活動をしているわたしと、生体活動をしていないわたしとで常にココに在るんですねぇ。
マインドのわたしは生体(物体)活動をしていません。
ソウルのわたしもそうですね。
(ん?
幽体だとかエーテル体とかどれに該当するんだろ?)
マインドのわたしは生きてないんですね。
わたしはそれを思いっきり失念してました。
そんなマインドのわたしが死を恐れてた…
ギャグ漫画ですね。
人生は喜劇だと言われてますが本当ですねぇ。
生きてないわたしが「死にたくないっ!生き延びたいのだっ!(キリッ」って…
ぷはっwww
ほんとギャグですね、これwww
いままでの人生のすべてが抱腹絶倒のギャグにしかみえない視点を得てしまいました。
たしかにね、いたんですよ。
わたしが苦悩している時、絶望している時、悲劇のヒロインに浸ってる時…
必ずいたんですよ、「ウケてるわたし」が。
(ヒロイン気分に浸りたいから)気づかないようにしてたんだけど、中学生の頃にはもうそのウケえるわたしを無視することはできなくなってましたね。
こいつ(ウケてるわたし)には何度も腹を立てましたね。
イラ立ちすぎて「なにがおかしいんだよっ!」とモノを投げつけたりしたこともありました。
わたしいま、その「ウケてるわたし」に同期してるんですね。
「ウケてるわたし」とは二元性を超越してるわたしです。
「悲劇のヒロインになれるわたし」とは二元性の領域にいるわたしです。
過去の苛立ってるわたしが、ウケてるわたしに向かってライター投げつけてます。
マインドは時間も超越してるんですね。
あ、違う。
時間も二元性領域だから知覚できるものなんだ。そもそも時間などないんだし。
長年の謎がまた解けました。
あの頃にライターを投げつけられてたわたしは、いまココの(マインドの)わたしでもあったんですねぇ。
ラビリンスの中でぐるぐるしてたけど、迷宮抜けて振り返ってみたら「え?え?こんなに簡素なことだったの…」と呆れます。
悲劇のヒロイン…ぷはっwww
もう、お腹痛いからやめてーwww
ああ、悲しめるって豊かさなんですねぇ。
しみじみ。
やっぱり混乱解けないと気づけないよなぁ、こんなこと。
いま、目の前にあるアンメルツヨコヨコのパッケージをみて「明朝体、ゴシック体、斜体、赤、青、白… ああ、豊かさだねぇ…」と悦に入ってしまいます。
これって幸せです(笑)
歓びです。
豊かさを実感しては喜んでいる状態なのですね。
そして、これって乳幼児や幼児の感覚なんだろうなと思えてます。
新鮮なんです。衝撃なんです。
「在る」ことが。
「なにもかもが在る」ことが。
どうやらわたしは生きながらにして生まれ直したようですね。
いまなら幼児とノリがあうかもしれませんね(笑)
乳幼児や幼児は「恐れてない」んですね。
だから歓べるんですね。
恐れるようになると「歓べなくなる」んですね。
恐怖。
これが芽生えてしまうと人生に制限を課すようになりますが、制限があるがゆえに得られる体験があります。
恐怖、それ自体も豊かさなんですねぇ。
怖いから制限を掛けます。
怖いから殺します。
怖いから犯します。
怖いから盗みます。
闇も豊かさですね。
闇が在るのが二元性領域です。
闇も美しいのですね。
異常者と呼ばれてしまう人たちは闇にも美しさを感じられます。
闇を愛でられます。
幼児もそうですね。
幼児は闇も愛でます。
親に叱られ己で制限を掛けるまでは、闇も愛でます。
生体が生体活動を止める瞬間の美しさ。
手の中にある生体が押し潰され変形しゆく様の中に感じるものがあります。
本来、ヒトは残虐と呼ばれる行為の中にある種の神聖さを感じとります。
殺人も然り、屠殺も然り。
動物界や植物界の捕食も然り。
なぜ神聖さを感じてしまうのだろうわたしは?
残虐とはなにか?
この神聖さはなんなのだろう?とずっとずっと答えを探してました。
いま、わたしの中でその解は得ています。
綺麗事だけが豊かさではなく。
豊かさとはそんな薄っぺらいものではなく。
そう制限してた自分を解放し、闇を愛でることができる自分を許容することができて嬉しいのです。
闇も愛でられるわたしに還れたことが嬉しいです。
罪も罰もない。
罪も罰もあってもいい。
それが二元性領域の豊かさ。
光も闇も愛でられる領域。
光も闇も体験できる領域。
なにもかもが在る領域。
「豊かさ」そのもの。