わたしは許されている。
わたしは認められている。
わたしは愛しきられている。
肯定感が満ち満ちている状態で、昨日45歳の誕生日を迎えました。
去年、44歳の誕生日を迎えた時は、
不安と恐怖を抱えながらも「新しい生き方」へとスタイルを変え、毎日ぐらぐら揺れまくりながらも希望にフォーカスしていました。
1年後のわたし、45歳のわたしはどーなっているのだろう?
安心できているだろうか?
わからない。保証もない。
それでもわたしはいま生き方を変える。
来年の誕生日を迎えた時、この変更がどうであったのかを振り返ることにしよう。
そうやって44歳のわたしは生き方、考え方を変えました。
45歳になったわたし。
結論から言うと幸せです。
そして安心できています。
44歳のわたしが勇気をだしてライフスタイルを変更してくれたお陰で、いまのわたしがいます。
あの時、
勇気を振り絞ってくれてありがとう。
この1年、どんなに不安で怖かったかをわたしは知っています。
矛盾、葛藤を抱えながら、不安、恐怖、罪悪感に押しつぶされながら、それでも希望を捨てられず、それでも自分らしく生きることを諦められずに1日1日を過ごしてきたわたしをずっと体験してきました。
あれから1年経ちました。
いま、わたしは幸せです。
いま、わたしは安心しています。
いま、わたしはわたしを許しきれています。
いま、わたしはわたしを認めきっています。
いま、わたしは宇宙を許しきれています。
いま、わたしは宇宙を認めきっています。
いま、わたしは全てを許容しきれています。
この世もあの世も全て認めて許しています。
そんなことができるようになれています。
1年前のわたしが覚悟を決めてくれたから。
わたしは全てを受容する、と。
中途半端にではなく、全てをまるごと受容すると決めたから。
この世をまるごと受容したかった。
それはとても難しかった。
なぜなら二元性のハタラキは→を捕まえると←が現れるから。
矛盾、葛藤が現れるのは当然なんですね。
本気で受け容れきろうと肚をくくった時、本質を抽出する力が湧きました。
わたしがわたしのために本質を見極めるのだ。という覚悟。
矛盾、葛藤がなんであるか、そしてその仕組みハタラキをしり、あれ?やっぱり本質って超シンプルなのでは?
という、自分の感覚を完全に受け容れ認め「他者の意見をまるごと捨てる勇気」が湧いたのです。
怖かったし不安だったし罪悪感もものすごかったですが、、、
「わたしがわたしをまるごと許容することの方が絶対的に大事なことなのだ」という感覚に従ったのです。
それに従えたのは44歳のわたしが肚をくくってくれてたからでしょう。
「矛盾、葛藤の中(二元性のハタラキの中)」にマインドがフォーカス、同期(癒着)している。
44歳までのわたしはこの状態でした。
現代人の大多数の人もこの状態でしょう。
45歳のわたしは「矛盾、葛藤の中(二元性のハタラキの中)」との癒着が剥がれ、自由に動ける存在になっていて、
そんなわたしがいま常駐しているのが「二元性のハタラキを許容しているわたし」という領域なのですね。
二元性を超越している箇所(領域)です。
この位置ですと、二元性のハタラキが腸内細菌のハタラキのようなイメージですね。
自分自身とちょっと距離があるんですね。
二元性のハタラキの中にいると、たくさんの←やら→が飛び交っていてマインドは混乱しちゃうんですよ。
おそらく、本来マインドは二元性のハタラキの中に長時間いるスタイルではなかったんではないかなと想えています。
二元性を超越した領域が本拠地だったのでは?
そう想えています。
二元性のハタラキの中ではマインドは矛盾と葛藤で苦悩してしまう。
ボディにとっては二元性のハタラキはあって当然のもののようです。
二元性は「豊かさ」なのですね。
ただマインドが二元性ハタラキの中にいるのはかなーりつらく、マインドにとってはとてもストレスな領域なのでしょうね。
二元性のハタラキの中にいて、それがつらいなら、その領域から離脱することを検討してみたら面白いと思います。
そういう意味では、現代人のマインドは随分と長いこと二元性領域に囚われ続けていたのだ…とも表現できますね。
実際は何者かに囚われたんではなくて、幼い自分が自分でこの領域にいることを決めたのですがね。
幼い自分が生き残るためにと「親や他者の思想、概念を受け容れた」時、二元性領域の中での生活がはじまった…んでしょう。
わたしはそうだったようですし、ほとんどの現代人は2歳3歳で自我が芽生えてきた頃、1度精神的に殺されますしね。
モンテッソーリ女史はあの観察眼でそれを知ってあの教育方法を開発したんでしょうね。
幼児や精神病者をただの無能者とみなしてるスタイルを壊すために。
私の中にある二元性領域で飛び交う→←に翻弄されて生きるという生活スタイルから、
二元性領域を超越した領域で、何もかもを許容しリアルを総受けして生きるという生活スタイルへとチェンジしました。
44歳のわたしがあったから45歳のわたしがある。
さて、46歳のわたしはなにやってるんだろう?
ワクワクしますね♪