この土曜、日曜は寝てばかりいました。

起きようとしても、身体がとろけてしまっていて起きあがれず再び眠る…というのを何度も繰り返しました。

頭は覚めても身体が覚めようとしてくれない?
そんなイメージでした。

ユニークな夢をたくさんみていた気がします。あんまり覚えてないんですが。

食べる、腕振る、バランスボールで首から背中、腰をゴロゴロ伸ばす。
それしかしてない週末でした。

やりたいことは色々あったのですが、身体がちっともその気にならず。
身体が求るのは寝ることと、腕を振ることと首~肩周り~腰周りをほぐし伸ばすことで。

身体を温めること。
身体を緩めること。
身体の血流をよくすること。
身体を整えること。

いま、ご自愛活動としてこの点にフォーカスしています。

買って以来、随分と長いこと放置していたバランスボールがやっと日の目をみました。

これだ!っと思って買っても、買っただけで満足してしまう事がよくあるんですよねぇ。
でもやっぱり必要だったようでよかった。

同じように買ったボディブラシング用のブラシもいつの日か使う気になる日が来るのかしら?


週末、緩むことにフォーカスできたせいなのか、今日は古くて大きな概念をひとつ解放することができました。

機嫌はいいのに、朝から胸がモヤモヤざわざわしてかなり苦しかったのです。

なんだろうと凝視してみたら幼い頃のショック体験が思い出され、幼いわたしがそのときに下した決意が現れました。

『殺されたくない。生き延びたい。
他者にわたしの生命活動を止められたくない。殺される前に殺さなくてはならない。やられる前にやらねばならない。』

こんな記憶が奥の方から現れました。


なんか陣痛のようですね。
収縮運動。
しっかり緩ませるとぎゅーっと奥まで縮んでゆき、奥から引っ張り出して外へと解放する。

縮む。緩む。
この伸縮運動をさせなくしてしまうのが硬化、凝りですね。

肩こり、動脈硬化なども同じですね。

縮む、緩むができなくなると老います。
身体が硬くなるということは死が近くなることなのですね。

生き物は縮む緩むができないと死にやすい。死に近づいている。
柔らかいと死ににくい。死が近づきにくい。

現代人は若くても硬いようです。
心身へのストレス。
緊張から凝りが生じ姿勢が歪む。

いま、赤子すら凝っています。
赤子が捻れて凝っています。
それに気づかず、この状態が当たり前だと受け止めて育ててます。
いま赤子が日々強要されている姿勢を大人がしたらどれだけしんどいか。

観察せず、疑わず、そんなもんだと決めつける。
それを悪いとは思いません。
が、もうわたしは飽きました。
自分の中から湧くものを信頼したい。
疑問が湧くならその疑問を無視しない。

赤子ってこんなものよってほんと?
年をとったら凝るのが当たり前?
年をとったらシワがでるのは当たり前?
シミがでるのは当たり前?
白髪が生えるのは当たり前?


わたしは疑う。本当にそうなの?
歳のせいなんかにしたくない。
誰かや何かのせいにはしない。


もうこの歳になったら…
若いうちにはわからないんだよ…

あなたはそう思ってていい。
わたしはそうは思わないだけ。

わたしは疑う。自分自身を。
わたしは信じる。自分自身を。

この矛盾を受け容れ、
この矛盾を許しきって、宇宙に全てを委ねる。
そして、宇宙から注がれるリアルをまるごと受けとる。

わたしはわたしの奥に響くものしか反応しない。
他者なんてどうでもいい。
でも、他者もわたし。

二元性をまるごと受けとめて、二元性そのものを超越する。
闇も光もうけとめ許したら、その先の在り方がみえる。

闇も光も在るのがこの世であり、闇も光も在るのだ人間であることを許容したうえでどう生きるのか。
どう在りたいのか。

わたしは許しきりたい。
わたしは愛しきりたい。
わたしそのものを。
宇宙そのものを。
この世そのものを。


うーん。
わたしは本当に強欲なんですねぇ。
(しみじみ)